「大阪・関西万博に学校行事で子どもたちを連れて行かないよう求める要望」について、現状において思うこと。

SNSで、ある政党の市議団が教育委員会に対して、「大阪・関西万博に学校行事で子どもたちを連れて行かないよう求める要望」を出されたと接しました。

 あくまでも、個人の意見として、教育委員会という教育行政にかかわったものの立場からの意見をあくまでも、批判・対立ではなく、建設的・相互理解の意見交換のためとおもって書き出しました。

 私信的なものですが、書いてみて広く意見交換できればと思い、こちらにも転載しました。「教育委員会の立場・姿勢を理解する」側の意見です。


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 一応、3月まで教育委員をしていた身として、3月まで果たしていた責任として、今は市民としての思いを書かせていただきます。


 ◆事務局の対応と 議員団としての要望について 

 教育委員会事務局の説明に納得がいかない部分、対応が十分でないと感じられる部分については、指摘や意見交流を通じても改善していかれるべきことと思いますので、種々の意見を寄せていただくべきかと思います。(※ですので、なにもいうべきではないとは思っていません。むしろ、あらゆる声が向けられ、聞いていかなければいけないのが行政機関の一つの責任でもあると思っています。ただ、そうすると無尽蔵に聞くべきかとなってしまいますので、その制度を守るためにも、市民側にも、一定の市民的責任としての民主主義についての理解やリテラシーが必要なのだろうと思う立場です。)


 ◆教育委員として質問したことについて 

 本市学校の万博見学・参加への対応ですが、私自身も気候や種々の安全性、また近隣地域の学校対応が報道されていることから、一定の懸念を持っていた立場です。その立場から、任期終了近くではありましたが、万博への学校の参加の状況等について、質問やり取りを行って、3月定例会で質問をしておりました。これは、3月教育委員会定例会の報告書に記載されるはずです。(ただ、一部要約されていること、また「教育長報告と委員協議」の部分で、おそらく期待されるほどの詳細な議論を行ったわけではありません)

他にもたくさん論点や書くべきことがあるように思い始めました。それは割愛して、「教育委員会に、各学校へ万博へ行かないように働きかけるように」ということに含まれる問題として私が感じることをお伝えさせてください。


 ◆自治・独自性と管理の問題について

 私自身、教育委員として意識していたこと、感じていたことでもありますが、いかに行政機関としての責任を果たしながら、学校現場、教育現場の「自治」、あるいは自主性や独自性を侵さないようにするか、ということです。 これについては、いまの尼崎市教育委員会事務局も非常に配慮し、気を配りながら行政を行ってくださっているように感じています。(私の任期中にもそれは感じておりました)

いうまでもありませんが、各地域、各学校にはそれぞれの特色があります。それを、一つの教育委員会という行政機関が 1つに統合し、まったく同じ学校を作り上げると、「格差」はなくなるかもしれませんが、「個性」や「特色」もなくなってしまうことになります。(あくまでも仮定ですが) 当然のことながら、学校現場でそれぞれで、教える先生の特性、生徒・児童の特性、地域の人や環境、種々のリソースや、それぞれの歴史…等、活かせるもの活用できるものは、またそれぞれ異なってくることもあるのが教育現場です。

 その意味で 教育委員会/教育委員会事務局は、自治体の教育行政機関として一定の管理・監督責任を負う立場にあります。しかし、その管理を徹底すれば、おそらく教育は活性化しなくなりますし、本当の意味の教育は失われていくことになると思います。  逆に、今回このような一括した判断を教育委員会が行うということは、おそらく逆の意味での「管理」の問題が発生することも懸念されます。それは、望むべからざる方向へも教育委員会の権限/管理によって、市の行政が一元化されていくということです。それは、いうまでもなく、戦前の反省に立っても容易に理解されるでしょう。その意味で、学校側が、一方的に教育委員会に「管理」されるのではなく、(確かに制度的に責任・管理が行政機関にあり、また上下的な関係があることも否めませんが)、学校側の自主性、独立性を尊重されるべきというのが私の立場でもあります。(おそらく、この意味は理解いただけるのではないかと思います。)

 今回の状況は、万博に対して繋念はあるものの、(種々の意見があるが故にでもありますが、)教育委員会として一律の判断、一律の行動を学校現場へ求めることはしないという判断は、一定理解をしたいと思うところです。


◆政治的に関わるという問題について

 また、教育委員会は、政治的に独立した機関であることが求められています。 自立・中立であるがために、首長部局から独立し、市民が教育委員として選任されています。少なくとも私はその意味を重く感じて、任期の間務めさせていただいていました。

 前述のように 万博については私は繋念を持っている立場ではあります。 しかしながら、万博に対して意思表示をするということが、ある種の政治的立場の表明や政治活動になっていく側面も現実にあることを注意しなければいけないと感じています。昨今の政治状況からすれば、教育行政・教育ということが政治的イシューに取り上げられる世情にあります。だからこそ、教育そのものは、政治的中立であること、政治闘争の場に上がらない/上げられないように意識することが、教育行政にかかわる者にはより求められる姿勢ではないかと感じています。

 その意味で、今回の万博はご存じのようにある種の「政治問題」という側面もあると感じています。だからこそ、教育行政機関としては、より慎重な姿勢にならざるを得ないし、そのようになる意味が私はあると考えている次第です。


長くなりました。すみません。もう、教育委員ではありませんが、関わった責任もありおもうところもあります。機会があればまた直接意見交換やお話などできればと思います。(ただ、現状 本当に申し訳ないほどに予定や都合(育児・お迎え)があり、思うにまかせないところがあることご容赦ください)

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