(1月7日)お寺の子どもだけれども、初もうでに連れていかれてるという話

  今週からまた始まった保育園への登園。7日の保育園は、「みんなで初詣に行きます」とご案内がありました。帰ってきた、こどもは、「初詣いってきたよ。◎◎神社に歩いて行った」とご機嫌に報告してくれました。

 お察しかもしれませんが、私はなんかモヤモヤとしています。

 僕自身を振り返ると、公立の1年制の幼稚園にいっていたせいか、神社への「初詣」なるものは、幼少のころに(そして、思い返してもいままで)経験した記憶がありません。

 神社に「お参り」にいったのは、小学校のミニバスで全国大会に行ったときに、スケジュールに「明治神宮への参拝」(多分、勝利祈願)があって、「今、神社におまいりしてるわ」と、なんか思っていた記憶があるくらいです。

 まあ、お寺の子どもとして、育った僕は、当たり前のように初詣でや、参拝とは無縁の育ちをしてきまして、今もそれとは異なる信仰文化を選択的に生活しているわけであります。

  自分がなににもやもやしているのか、というと、厳密には、子どもが「初詣」に行った(連れていかれた)ことそれ自体より、「神社に初詣に行かない(積極的にいかないという選択をする)という信仰や文化がある」ということに対する配慮というか、私たちような人がいるということについては、たぶん想像されていないんだろうなぁということなのです。

  誤解のないように、言っておきますと「自分たちがこうだから、初詣をいかないようにしてください」と、保育園の行事や予定の変更をお願いするようなことまでは求めたいとは思っていなくて、むしろ、そういう文化に触れる機会があってもいいだろうなぁくらいは思っているのです。

 なににもやもやしているかというと、繰り返しになりますが、「初詣」を明確に、信仰のともなう宗教的行為と認識して、積極的に「行かない」という選択をしている私たちのような人たちの存在は、おそらく想像の外側にあるのだろう、という現状にもやもやとしているのです。

 別に怒ったり、疑義を呈したり、なにか現状変更をもとめたりしているわけではなく、ただ、モヤモヤとしている部分があるというだけです。

 子どもが楽しそうに、「初詣いってきたよ」という報告はうれしくききましたし、その子どもが参拝した神社の宮司さんともめんしきがあり、とてもよい方であると存知上げていますということも付言しておきます。



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