教えと機根と

歩きながら、法座や講義で話すことを考える。


弥陀の救いとか、浄土の教えとか
それが、自分にどう関わっているかということがよく疑問とされる。

阿弥陀仏は、どんな人でも、どんなに悪い人でも、救ってくれるといって、それが自分にどんな意味があるのか?
浄土は、死んだ後に生まれるすばらしいさとりの世界だとして、それが今の自分にどう関わるのか。

でも、そういう教えでなければ救われないという自分と出遇うところに、
その救いや浄土に照らされて自分の姿を知らされるということに、
一つの意味があるのじゃないか。

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