投稿

大学に就職して1か月

イメージ
5月1日。 大学に就任して1月が経ちました。 ちょうど本日、大学の教員紹介サイトに私の情報が掲載されました。 【龍谷大学 教員紹介 中平了悟】 https://www.let.ryukoku.ac.jp/teacher/nakahira.html 研究業績や経歴はリサーチマップにまとめられておりますので、こちらをご覧ください。 【リサーチマップ 中平了悟】 https://researchmap.jp/nakahiraryogo  リサーチマップは、もともとは、非常勤でテニュアでもなければ多少ふざけてもよいかなとフェイスブックのアイコンにもつかっているイラストを顔写真として表示していましたが、さすがに現状それではまずかろうと、3月ころから顔写真に変更しました。(笑)

「アマック25 尼崎ー豊田交流戦」のハナシ。

イメージ
アタックではなく「アマック」25。 尼崎市のフルカワさんが主宰して、定期的に開催している主にオンラインのクイズ大会。 毎年年末には、年間チャンピオン決定戦があり、そこをめざして多くのひとがしのぎを削るという、一部で(しかし一度でも触れた人はほとんどが)熱く盛り上がっている企画がある。(私は常連の参加者の一人だと思っている。) そもそもは、コロナによって地域行事がほぼほぼ休止状態になっていた2020年。福岡県久留米市で行われていた「オンライン公民館」なる取り組みを見ならって、尼崎でも「尼崎オンライン公民館」がほぼ月例でおこなわれるようになった。(コロナが落ち着いたことにともなって、現在は行われていない)。 その中で、大人気の企画だったのが、フルカワさんが立ち上げた アマック25。 本家 アタック25さながらのパネルを、Microsoft Excel で作成し、パネルの変化から、出題・音声の出力まで、これ一つでやっている。(毎度感嘆している)。 出題から構成まで、すべてフルカワさん。(すげー) その熱意と行動力たるや、オンラインから飛び出し、尼崎市内でのリアルの企画、尼崎で一番大きな「市民まつり」のコンテンツになり、さらには本家「アタック25」からこのような企画をおこなう公認も得た。 本家アタック25で優勝した(パリ旅行を獲得した人も)尼崎市民も複数人、常連として出場中だ。 なにって、テレビで見てたアレ(パネルの獲得)が、実際に体験できるのだ。 アタックチャンスに至っては、もうこんなにどきどきするものだったのかと、何度やっても興奮が止まらない。笑 もうしわけないことに、フルカワさんから出場のオファーがくるたびに、家族(妻)に頭を下げ、家族の負担・いろいろなものを差し置いて出場してしまっている。(ダメおやじ) そんなこんなで、4月23日(水)は、アマック25だった。 「アマック25 尼崎ー豊田交流戦」と銘打って、先般、フルカワさんが足を運び、リアルでアマック25を体験された愛知県豊田市のみなさんと、尼崎のアマックメンバーとの交流戦。 そもそもが、先の「オンライン公民館」が豊田市でもおこなわれ交流が持たれていたことに端を発したものだろうと思う。  尼崎から4名・豊田から4名が出場。各回2名ずつ出しあって、2戦行われた。  詳細は割愛するが、第一戦の結果。  なんと、尼崎のイ...

4月20日~26日のこと(いそがしかった)

あわただしい1週間が終わってかなりほっとしている。 細やかに書いておきたいことも多々あるけれど、ひとまずざっくりと、今週の記録。 4月20日(日)西正寺寄席。26回目。お参りのあと、門徒さん、ボランティアさんのご協力を得て、西正寺寄席を開催。終了後、打ち上げ。 4月21日(月)午前は月参り。午後習字のお稽古に。夕刻~夜は阪神東組(お寺の地域のグループ)の役員会。 今年度から副組長(ふくそちょう)というお役を拝命したため、その就任歓迎の会も。  4月22日(火)やや寝不足で体調不良。午前はいつものように月参り。午後1コマ大学での講義(学部・布教伝道論)。(通夜を父につとめてもらう) 4月23日(水)。ご葬儀のお勤め・導師。9:30からの式。午後に還骨・初七日。急ぎ移動し、5時間目の講義(浄土教思想論研究)。 講義終了後、院生から研究相談。19:20オンラインでクイズ大会 アマック25に参加。緊迫した勝負の結果優勝。  ※ 葬儀を完全につとめて、京都へ移動し講義もできたというスケジュールを完遂した。(驚) 4月24日(木)。午前中は月参り。翌日に葬儀ができたため、日程を変更してお参りをさせていただくおうちをお参り。午後、研究室でオフィスアワー1コマ、講義1コマ(ゼミ)。講義終了後、急ぎ尼崎に戻り、お通夜のお勤め。  ※ 朝お参りし、午後大学で講義し、いそぎもどってお通夜をお勤めするというスケジュールを完遂した。(驚) 4月25日(金)。午前月参りと、合間に阪神東組の門徒推進員総会で法話(30分)。またお参り。午後、レジュメやスライドを仕上げて、夕刻~大阪の下寺町で浄土宗寺院の若手のみなさまの研修会で講師。その後の懇親会も同席させていただき、帰宅。 4月26日(土)。午前、月参り。お墓の建碑・納骨のお勤めも。午後は、勉強会「はすの会」終了後。無事に1週間のあわただしいスケジュールが終わったような気がしてほっとする。家族とすこし外出。

GASAKI BASE が往生(閉店)するのでお葬式をしたというハナシ。

イメージ
記載が前後するが、これもとどめておきたいと思う出来事。 尼崎は戸ノ内にあったガサキベースが往生(閉店)した。 番頭(店主)の足立さんから、半年以上前だったと思うが、「4月に閉店するから葬式をしてほしい」という話をもらっていた。ほかならぬ足立さんの頼み。この数年間、足立さんからは、たくさんの刺激・インスパイアをもらった。  またそれ以上に大きく、かつ多くの足立さんの手にかかるものが尼崎の地には、生み出され、作り出されて、影響が与えられてきたように思う。地域に多数の足跡・傷あとを刻み込んだ足立さんの節目に立ち会えるというのは、光栄なこと。 ※ 足立さんのインタビューや ガサキベースが紹介されているサイト AMANISMより OC vol.05 まちとつながるDIY 尼崎傾奇者集落とGASAKI BASE https://amanism.jp/ucma/report/entry-169.html まちなかの「村」から発信する「ほんとうのDIY」 https://amanism.jp/people/entry-90.html    ごちゃごちゃ、いうてしまったけれど、きっとみんなここが大好きなんだろうなと思う。そんな場の節目は、請われなくても身を置いておきたいと思うもの。  実際、往生(閉店)のこの日までにもたくさんの人が、ガサキベースを訪れ、別れを惜しみ、足立さんたちと言葉を交わしていたようだ。この日も、たくさんの人が、最後の日に立ち会うべく足を運んでいた。  「葬儀」と「往生」の話で、もらった時間は 30分。オーダーは、ガサキベースの葬式をし、「往生」についての話をしてほしいということ。ばたばたとする中で、準備に十分に時間をさけたとは言い難いが、それなりにイメージをふくらませ、表白(読み上げ文)もしたためた。  葬儀の雰囲気を保ちつつ、お店のアナーキーというか、「集落感」というか、ガサキベースらしさを損なわず…ということはなかなか苦慮する部分ではあったけれども、また「往生」や「死」「別れ」ということを、立ちあってくださった人たちとある種共有することはできていたように思う。  写真は当日のようす。 ※photo by 城周作 氏 ※photo by 城周作 氏 「葬式」の中で読み上げた「表白」 ●足立さんが、ガサキベースの閉店を「往生」と名付けた 足立さんから、閉店を往生...

尼崎市から感謝状をいただきました

イメージ
4月14日月曜日。尼崎市から感謝状をいただきました。 3月末日まで、1期4年の教育委員の任期を満了しました。 (※終えるにあたって、書かせていただいたものはこちらです。3月26日付「教育委員を終えるにあたって」 https://ryogo1977.blogspot.com/2025/03/blog-post_26.html )    本来は、3月31日に、感謝状贈呈式があり、そこに出席して受け取らせていただく予定でしたが、ご葬儀のお勤めがはいって、欠席のご連絡を入れたところ、再度日程を頂戴いただいて、一人だけのためにこのような場を設けていただいてしまいました。  市長はじめ、教育長、副市長、幹部の方も同席いただき大変恐縮する場でした。  あらためて、任期の4年は本当に貴重な経験をさせていただきました。今後は一市民としてまたできる範囲でできることをやっていきたいと思います。  

「大阪・関西万博に学校行事で子どもたちを連れて行かないよう求める要望」について、現状において思うこと。

SNSで、ある政党の市議団が教育委員会に対して、「大阪・関西万博に学校行事で子どもたちを連れて行かないよう求める要望」を出されたと接しました。  あくまでも、個人の意見として、教育委員会という教育行政にかかわったものの立場からの意見をあくまでも、批判・対立ではなく、建設的・相互理解の意見交換のためとおもって書き出しました。  私信的なものですが、書いてみて広く意見交換できればと思い、こちらにも転載しました。「教育委員会の立場・姿勢を理解する」側の意見です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  一応、3月まで教育委員をしていた身として、3月まで果たしていた責任として、今は市民としての思いを書かせていただきます。  ◆事務局の対応と 議員団としての要望について   教育委員会事務局の説明に納得がいかない部分、対応が十分でないと感じられる部分については、指摘や意見交流を通じても改善していかれるべきことと思いますので、種々の意見を寄せていただくべきかと思います。(※ですので、なにもいうべきではないとは思っていません。むしろ、あらゆる声が向けられ、聞いていかなければいけないのが行政機関の一つの責任でもあると思っています。ただ、そうすると無尽蔵に聞くべきかとなってしまいますので、その制度を守るためにも、市民側にも、一定の市民的責任としての民主主義についての理解やリテラシーが必要なのだろうと思う立場です。)  ◆教育委員として質問したことについて   本市学校の万博見学・参加への対応ですが、私自身も気候や種々の安全性、また近隣地域の学校対応が報道されていることから、一定の懸念を持っていた立場です。その立場から、任期終了近くではありましたが、万博への学校の参加の状況等について、質問やり取りを行って、3月定例会で質問をしておりました。これは、3月教育委員会定例会の報告書に記載されるはずです。(ただ、一部要約されていること、また「教育長報告と委員協議」の部分で、おそらく期待されるほどの詳細な議論を行ったわけではありません) 他にもたくさん論点や書くべきことがあるように思い始めました。それは割愛して、「教育委員会に、各学校へ万博へ行かないように働きかけるように」ということに含まれる問題として私が感じることをお伝えさせてください。  ...

【ご恵贈いただきました】 大正大学地域構想研究所・BSR推進センター編『地域と寺院~まちに開き、まちを拓く』(1)、(2)

イメージ
本日、大正大学地域構想研究所さまから、以下の大部なご著書2冊をご恵贈いただきました。  表題の通り、地域に開かれた寺院91か寺の事例を取材し、記事にされたものがまとめられたものです。  もともとは、同研究所が編集されていた『地域寺院』という雑誌に連載・掲載されていたものです。西正寺も取り上げていただいたことがあり、本書の2巻に収録していただいていました。  連載時から、寺院の地域活動に関するとても貴重な情報を提供いただいているものと思っていました。先年、刊行が終了し、大変残念に思っていたところでした。  現在、業界紙的な新聞、『中外日報』や『文化時報』といった紙面でも、活躍する宗教者の活動が取り上げられています。すべて拝見することはできていないのですが、これらも大変貴重な情報であるように思っています。  個別・具体的に行われている寺院・僧侶たちの活動がたくさんあるのですが、それらは個別・具体的であるが故に、なかなか集約して知ることがむずかしいように思っています。  現在は、これらのように、個別の事例を集める、という形で書籍や連載記事にまとめられ、積み重ねられているように思います。  みなさんのまわりのお寺も、もしかするとそのような大事な活動をされているかもしれません。ぜひ、門をくぐってみる機会・ご縁を持っていただけたらと思います。 (もちろん、そうでないこともあるかもしれせんが) (同封いただいていたご案内)

広告A