2010年7月19日月曜日

応典院とグリーフのセミナー

昨日7月18日(土)。
午前中、法務。
午後14時から、大阪・応典院で開催された
http://www.outenin.com/modules/contents/index.php?content_id=279


講師は橋爪謙一郎氏。
お葬式などで、遺体に保存処置を施したりするなどの
エンバーミングの第一人者で、グリーフサポートの取り組みをされている。

近著は『お父さん、「葬式はいらない」って言わないで』 (小学館101新書)

橋爪氏の講演・応典院秋田住職の対談との二部構成。

全体として、葬儀をグリーフの観点からどのようにすべきかという内容。
ちょっとした気づきで、悲しみの中にある人たちの支えや、悲嘆を少なくできる実例を教えてもらったように思える。

セミナー後、希望者では橋爪先生を囲んだ座談会形式の勉強会。
葬祭業者さんや、NPO関係者など、いろいろな立場の人が参加。

葬儀業者の方も、グリーフのケア・サポートのため取り組み―DMの送付や、場の設定などをされていて、非常に興味深い話を多く聞くことができた。

ただ、いろいろな話を聞く中で明確になったのは、
自分のスタンス。

僧侶は僧侶であるということ。
仏教者というスタンスの上で、グリーフに取り組むということ。


話のなかで、「グリーフケアのために、規定の概念、宗教の教義をも捨てるべき」というスタンスがあることを提示されていたけれど、
宗教者が、自らのアイデンティティである「宗教」を捨てては、本末転倒であるように思う。

グリーフケアのために捨てるべきではく、
仮に「教義」や「仏教者」の立場を捨てることがあったとしても、それは「グリーフ」のためではなく、
そうすることが仏教であるからだろうと思う。


グリーフケアのために、仏教者の立場を捨てるならば、それは「グリーフケア」の専門家。
仏教者は、仏教者の立場を捨てるとしても、その「捨てる」という行為が、仏教にもとづくものであり、より仏教者であるというあり方の上ですべきじゃないか。

矛盾を抱えた内容だけど、そうなんじゃないか。






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