2016年2月23日火曜日

毎日新聞「境界を生きる」取材班『境界を生きる 性と生のはざまで』

とある依頼で、LGBT関連の資料と情報をまとめる機会をもらった。 そんなわけで、あらためてこの問題について関する本を一冊。
というか、そういう状況で手にとってしまって、また感情がゆさぶられたので。
・毎日新聞「境界を生きる」取材班『境界を生きる 性と生のはざまで』




 LGBTのことに関心を向けた数年前にまとめて買った本の中の一冊。すこし読んだだけで、切なさと、それぞれの決断で感情が大きく揺さぶられる。    人間には、一定の割合で「男性」と「女性」のいずれでもないか、あるいはいずれの特徴ももって生まれてくるということが起こりうる。性分化疾患(DSD)や、インターセックス等とも名称される。その当事者と家族をはじめとする周りの人たちの姿をとりあげたルポ。    生まれてきた子どもの性別を決める、という覚悟と決断を迫られる親、明確な性別のアイデンティティをもつことが許されず、つねに「居場所」がないという苦しさを抱えて生きて行かざるを得ないい当事者。  恥ずかしながら、「性別」は誰もが当然のように自覚でき、公表しうると思っていたが、現実には、非常にあいまいな状況におかれ、公表することもできず、ひとりで息を潜めて生きて行かざるを得ない状況があること、また、重すぎる覚悟と決断を無理矢理に背負わされていた人がいたということに対して、想像が及んでいなかったことをまざまざと知らされた一冊。  しかし、その苦しみに責任を負うべき悪い人がいるのか、というとだれのせいでもない。誰のせいでもない苦しみを共有したり、公言したりできない社会の方が、変わっていかなければいけないのではないかという思いを強くした一冊でもある。  僕が、LGBTのイシューについて、発言したり、関与したりすることにいぶかしがっている人もいる人もいるかもしれないけれど、一人の社会人としても、そしてなにより「宗教者」としても、この苦しみは知った以上に無視できないという思いがつよくなったからです。  なにもできなくても、そういう人がいる、ということを知るだけでも、その人が抱えている苦しみに変化をあたえることができる、ただ知ること、それが大きな意味を持つことだと思っています。

そんなわけで、ずっと頭の中にあった想い、
LGBTについて活動されている当事者の方に来ていただいて、
学び、語り合う場を西正寺でもつ企画を準備しています。
6月18日(土)の夕方ですので、もし関心を持って下さった方は、ご予定下さい。詳細は後日発表です。

   


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