LGBT関連。特に、ゲイ・レズビアンの同性愛の当事者が身近な親・教師にカミングアウトして、その時のことを振り返る往復書簡で編集されている。また、後半には同性愛の当事者の子どもを持つ親(家族)による「座談会」の記録も。
当事者だけでなく、カミングアウトされた「身近な人」の思いに触れることのできる一冊。
カミングアウトする当事者も、された相手も、一様ではなく、また対応に答えがあるわけではない。
すっとうけとめられた人もいれば、長い年月が経っても受け入れられず、葛藤を抱える母親もいる。
本を読むうちに「葛藤」という言葉が、澱のように、すっと胸の中に沈殿していく感覚があった。
しばらく、このことばと向き合う必要があるのではないか、という感覚。
【葛藤について】
葛藤など、ないほうが楽だろう。
でも、現実にはさまざまな葛藤がある。
人と人の間に生じる「葛藤」。親子関係、友人関係、恋人関係、師弟関係。
受け入れがたいことや、納得できないことを抱えつつ、人と向き合うことが、少なからずあるだろう。思い通りではない、目の前の人。「あなた」。
「あるはずではない(あるべきではない)、消すべき葛藤」というよりも、
「葛藤が生じても、向きあわなければならない相手との関係」っていう見方もできるのではないか、
人と人との間に生じる「葛藤」ともう少し真摯に向き合わないといけないのではないか。
うまく言葉にできないけれど、「葛藤」ともう少しお付き合いしなければいけないような気付きがあった。
思えば、自分の人間関係にもさまざまな葛藤がある。
家族関係にも、友人関係にも、職場にも、それぞれ大小はあるけれど、葛藤があって、その中で身じろぎしながら、自分は生きているのだなぁと。
【一部抜粋】
・「たいていカミングアウトは、そんな社会のあり方や、かってに自分のことを異性愛者と見る人に対して抗議をするといった気持ちでおこなわれるわけではない(もちろん、そのような意味を持っておこなわれることもなくはない)。むしろ、誰かにカミングアウトするときには、「この人に自分のことをもっと知ってもらいたい」「この人ともっと深く付き合いたい」という思いが動機となっていることの方が多いのだ。」(198頁)
・カミングアウトを受けた人にまず言いたいことは、「その人があなたにカミングアウトをしたということは、あなたのことを信頼し、また大切に思っているからだ」ということ。(208頁)
・この二組のやりとりは、学校という場において、教師がセクシュアル・マイノリティを含めたマイノリティに対する意識を持ちそれを伝えていくことが、いかにそこにいる生徒が自分を肯定し楽になれるきっかけを与えるかを教えてくれるものとなっている。(213頁 生徒による教師へのカミングアウトの事例にふれて)
・(カミングアウトされた先生のことば、自身の「クリスチャン」という信仰を踏まえられて)
今ひろく世の中の人びとが当たり前に享受している「人権」という考え方は、権力やマジョリティから積極的に虐げられるか無視されるかしていた、弱者の立場にある人たちが一つずつ、声をあげて、非常な圧力にもめげず運動を続け、獲得していってくれたものなのです。だから私は、自分のマイノリティ性を誇りに思うし、隠したり忘れたりしてつまらないマジョリティの一員になってしまわないように、気をつけながら生きたい、と思っています。(132頁)
0 件のコメント:
コメントを投稿