2018年4月19日(木)19:00~21:00
「普通を語ろう(仮)」という行事を開催しました。
そもそもは、3月のある日。フェスブックで、人それぞれがもつ「普通」についての投稿を挙げていた友人の「まるちゃん」。彼とのやりとりで、すぐさま(ほとんど勢いで)「普通について語る場を持ちましょう」ということになり、これまたフェイスブックでイベントページを作成しました。
大した広報も、熱量も傾けずに当日を迎えました。
ただ、面白い場になるだろうなぁという期待だけはあるなかで、当日を迎えました。
主催者二人のSNSの投稿とやりとりには、この1ヶ月多めに「普通」や「常識」という語が意識されていました。とはいえ、当日まで、大した準備もしませんでした。
参加費は、西正寺イベントでは恒例のおさい銭システムでしたが、当日、
ごくごく普通の常識的な額を設定することにしました。
みなさんの参加費の常識がどのようなものだったかは、みなさんの「普通」にお任せします。(※ 経費分以外は、懇親会の足しになりました)
当日は、10名の参加者がありました。主催者2名も含めると場には12名。(内1名は、最後10分だけの参加でしたので、多くの時間は11名でしたが)
「どうしてこの会にきましたか?」ということも含めて自己紹介をする中から、いろんな「普通」がでてきました。
使いたくない「普通」、「普通」に暮らしたい、特別じゃない「普通」、おしつける「普通」、・・・。
前半戦から、僕が考えていた「普通」を超える、たくさんの普通があつまってきました。
「普通をつかわないのはどういう思いなんだろう」、「普通を使うときはどういう意図や思いがあるんだろう」。
意味や用例から、そこに乗せられている思い、どういう時に使うんだろう、あれこれ、あれこれ、話していく内に、あっというまに時間がたっていきました。
それぞれがいろいろなことを考える時間になったようでした。
延長戦は、近くの居酒屋「ふる里」で。
これまたにぎにぎしく語らいました。
最後に、個人の振り返りとしては、
・一緒に会をやってくれ、素敵なファシグラも担当して下さった「まるちゃん」さんありがとうございました。
・場のファシリテートについても、いろいろな試みや、実践をしてみたと同時に、自分自身の中の感情や、不足についても気がつくことができた経験になりました。
(意外と似ているように思うのがちょっと悔しくも感じる、とても素晴らしいファシグラ似顔絵)
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