某氏の主張や考えについては、常々違和感があり、また、関与することも避けたいと思っていた。けれど、通勤中にふと目にしたこの記事は、そこを問題提起としつつ、考えさせられるべき点が多かった。
・社会問題について議論する前提とは何か、ということについて提示されているということ。
・僕らのような宗教者や、思想に関わるものが、「職」として、社会にどのようにコミットすべきかということについて、示唆されているように感じられる。
著者さんについては、どんな方がしらないけれど(薬剤師さんらしい)
以下、ブログから抜粋、それでも少々長いけれど、転載。
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年金、医療や介護、子育て支援、失業者の救済といった「社会保障」について語る際、その理念を前提とせず、議論することはできません。
社会保障の理念の中で、代表的なものは『社会による包摂』、つまり
『貧困や失業、健康不安により社会から結果的に排除される人々を、再び社会の関係性に引き入れよう。どのような立場や状況にあろうとも居場所と役割があり、互いの存在意義を認め、尊重しよう』
とする概念です。そして実際に、この理念に力を与えているのが、社会に共有される「人権意識」や「倫理観」であるといえます。
(中略)
個人的な印象としては、日本が戦後、経済大国の仲間入りをする過程で、核家族の増加や長時間労働に伴う世代間の交流の減少があり、また経済的な成功こそが人間としての成熟だとする誤った理解が広がる中で、日本の高所得者層・リーダー層を中心に「新自由主義的な思想」(自由放任・規制緩和・自己責任・小さな政府を志向)が浸透しすぎたのではないか、歯止めとなるべき社会規範が弱かったのではないかと考えています。
収入や社会的地位が高いほど、こうした思想に染まりやすいとされますが、日本のリーダー層や制度設計担当者、マスメディアに広がるのは非常に危険です。
日本では政府系の会議に企業経営者が「有識者」として招聘されがちでもあり、こういった思想に対し、その都度、強い口調で拒否の意向を示すことが必要なのかもしれません。
http://www.huffingtonpost.jp/hidekazu-takahashi/dialysis-patient-yutaka-hasegawa_b_12189180.html?utm_hp_ref=japan
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