2016年3月4日金曜日

矢野久美子『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』(中公新書、2014年)




矢野久美子『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』(中公新書、2014年)

目次
まえがき
第1章 哲学と詩への目覚め 一九〇六-三三年
 Ⅰ 子ども時代
 Ⅱ マールブルクとハイデルベルクでの学生生活
 Ⅲ ナチ前夜
第2章 亡命の時代 一九三三-四一年
 Ⅰ パリ
 Ⅱ 収容所体験とベンヤミンとの別れ
第3章 ニューヨークのユダヤ人難民 一九四一-五一年
 Ⅰ 難民として
 Ⅱ 人類たいする犯罪
 Ⅲ 『全体主義の起源』
第4章一九五〇年代の日々
 Ⅰ ヨーロッパ再訪
 Ⅱ アメリカでの友人たち
 Ⅲ 『人間の条件』
第5章 世界への義務
 Ⅰ アメリカ社会
 Ⅱ レッシングをとおして
 Ⅲ アイヒマン論争
第6章 思考と政治
 Ⅰ「論争」以後
 Ⅱ 暗い時代
 Ⅲ「はじまり」を残して
あとがき

 本書は、ハンナ・アーレントについて、その誕生から逝去までの生涯と、思想について取り上げている。

 ドイツでユダヤ人の両親のもとで生まれたアーレントは、幼くして父を亡くすも、母を初めとしたユダヤ人親族のもとで育てられる。大学では、ハイデッガーとヤスパースに師事。その才能を伸ばし、多くの友人たちとの交流を持つ。やがて、ナチスによるユダヤ人の虐待・弾圧が始まると彼女自身も収容所に入れられるという経験をしつつ、アメリカへ亡命。終戦・ナチスの敗北後もアメリカを拠点としつつ、欧州との間を行き来しつつ、『全体主義の起源』『人間の条件』、「アイヒマン論争」を引き起こす『イェルサレムのアイヒマン』等の執筆、発言をしつづけた。

 アーレントの視点は興味深い。彼女の思索、視点はその生涯、ユダヤ人というアイデンティティ、そして彼女とユダヤ人がおかれていた政治状況とまったく無関係には成立していない。しかし、その言及は単なる「ユダヤ人」の権利や、地位向上を訴えるものにとどまらない。「ユダヤ人」という立場を前提にしつつも、普遍的な人間としての価値や、正義にコミットとしていくような深み、奥行きがつねに内包されているように思われる。

 たとえば『全体主義の起源』については、単に全体主義の歴史的事実、あるいはナチスドイツの全体主義批判をするのではなく、それを生み出した歴史、要素を分析、記述しようと努めているという。
 『全体主義の起源』に見られるアーレントの姿勢について、著者・矢野氏は「アーレントの叙述を注意深く読むと、そこには行為者かつ受苦者としての人間の選択のあり方、動き方が描かれている。別の可能性もありえた、それなのにどうしてこのような事態にいたってしまったのか、ということを考えさせる物語なのである。それは、要素を明らかにすることによって、それらの要素が再びなんらかの形で全体主義へと結晶化しようとする時点で、人びとに思考と抵抗を促すような、理解の試みでもあった。」(本書107頁)と評する。
 また、「アイヒマン論争」(映画『ハンナアーレント』(2012年公開)の中心的なテーマともなっていた)が引き起こされた『イェルサレムのアイヒマン』に見られるように、ナチスの官僚個人の悪、あるいはナチスの国家的な悪を単純に訴追するのではなく、ユダヤ人も含めた人間そのものがもつ悪、虐殺を引きおこした原因―考えることをやめ、言葉を放棄すること―へと視点を向けていることからもそれを窺えるのではないか。時にその姿勢は、同胞であるユダヤ人や、彼女自身が最も大切にした友人たちとの亀裂を生じさせることさえあった。しかし、彼女は、人間性・人権をおびやかすものの根底を見通そうとし、そしてそれを指摘し、それと対決する姿勢を持ち続けていたように思われるのである。亡命ユダヤ人というアイデンティティつねに持ち続けながら、政治状況下に身をさらし、自己の発言がもつ影響や危険性を考慮しながら。


 「アーレントと誠実に向き合うということは、彼女の思想を教科書とするのではなく、彼女の思考い触発されて、私たちはそれぞれが世界を捉えなおすということだろう」(本書229頁)と著者矢野氏はいう。それは、ともすれば「絶対的」に見える、単一の正義の主張に対して警戒すべきことを教えてくれているように思われる。
 つねに複眼的に、相対的にその「正義」を眺め、つねに他者と他者の抱える価値と思想にも視野に入れつつ、複雑な社会に於いて考えるやめないこと。無思考に陥らないことがそこを渡っていく処方箋であるように思われる読後感(というより、レビュー執筆感)だった。


【個人的所感】
 本書の中で、短いながらも感じるところがあったのが、アーレントの友人ベンヤミンのエピソードだ。
 アーレントの友人であり、心の支えでもあった批評家であったヴァルター・ベンヤミン。彼の思想には、「老子」の影響があり、「屈託のなさ」「しなかやさ」に注目していたという。
 彼はアーレントと共にナチスを逃れようとするも、ビザを持たず無国籍状態であった彼は、安全に亡命することができなかった。最終的には、アーレントらとは別にピレネー山脈を非合法に越えてフランスからスペイン側に入るも亡命の望みが叶わず、モルヒネを服用して自死する。

 彼は、自身の書いたメモや原稿をあちこちの友人に託していた。

”彼女に渡された原稿の一つである、いまでは有名な「歴史哲学テーゼ」(「歴史の概念について」)は、ベンヤミンの名前を宛先とするスイス新聞の封筒を切り開いた紙に、小さな這うような文字でぎっしりと書かれている。ベンヤミンが自身の命よりも大切にし、その行く末を案じていた原稿をたずさえて、アーレントはアメリカに着いた。・・・”
(本書78頁)


 この時代「思想」「哲学」「政治」を語ることは、自身の生きることそのものであったことを痛烈に感じさせるエピソードだ。新聞社から送られてきた封筒でさえ、重要な論文を執筆する紙面とする、奪われ、破棄される可能性さえも頭にありつつも、なお書き、それを公にすることを模索し続ける姿。
 少なくとも、思想研究をし、思想を語り、信仰を語り、文章を書くことを営みとする身にとっては、深く突き刺さる逸話である。

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