ドーナツみたいだという理論

昨日はお誘いをいただいて、夕方から坐禅を大事にされる宗派のお坊さんと会食。
宗派の活動や、自分たちの活動などについて意見交換などをする。

いろいろと面白いことも伺う。
その方がおっしゃっていたことで、興味深かったのは、
仕事のやりがいとかおもしろみを感じる場面として、
「そんなことできるんですか?」と言わせるのが楽しいということ。

違う立場の人たちの意見や目的を把握して、
その橋渡しをすると、思っても見ない道が開けるという。
そんなときに、「そんなことできるんですか?」という声が上がるという。

違う立場の人たちの意見や目的を把握できているからこそ、
見えてくる道があるという。


あと、宗教的な本質なんてものは、つかみようが無くて、
さまざまな形で表れてくる、諸相でしか見ようがないのだという話もあった。
いわばドーナツのような。
本質的なものは、ドーナツの真ん中の輪。
さまざまな諸相は、ドーナツのあげパンの部分。



最近ちょっと頭の周りがいまいち。
雑念が多くて、集中力とか、思考に費やすリソースが浪費されているような感覚。

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