2011年11月14日月曜日

法務つれづれ

昨日の法務は、感じ入ることの多いお参りだった。
印象深いことがらを二つ。

■休みの日には、家族揃ってお参りしてくださるおうち。
おばあさんの一言「百回の電話より、一回顔を見せてくれる方がいい」。
いつも、休みの日には、子どもさん夫婦、お孫さんなど、たくさんでお参り。
頻繁に集まってくれるから、ありがたい、ということをおっしゃっての、上の言葉。
最近、「人と会う」ということの意味を考えることが多いので、とても頷かされる言葉。

■私たちの「つとめ」
若くして亡くなられた奥さんの49日法要。
勤行を終えて、すこし法話。 ご主人が涙を流しておられるのが見える。
しかし、「悲しみ」の感情については、何もおっしゃらない。

ほぼ、初対面のような状況で、お勤めすることがある。
こちらから、なにか踏み込んでいくこともできないし、
一通りの法要が終わった後は、世間話や、今後の仏事についてのお尋ねがあったくらい。

終わった後、この方たちの「悲しみ」に向き合えたのか、
自分がいたことの意味はあったのかなぁと、自問。
なにができたのかなぁ、どうすべきだったのかなぁと自問。
なにかをして、解決しようという思いではない。
「傷つけずに、その場にいる」方法はあるのかどうか、のような思いが、昨日は強かったのかも知れない。

いろいろと、考えることは、多いです。 何ができると胸を張れることも少ないです。
でも、その場に、いたことの意味をなにか、考えてはいきたいのです。

悲しい現場に向き合う友人たちのおかげで、以前には気がつかなかったことに思いが向くようになったようにも思います。

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