セミは夏を知らない


今日は一日出講日。
龍谷大学で、仏教の思想(深草)と、真宗学概論(瀬田)。

相変わらずの自転車操業。
「仏教」の魅力や、意味をもっと一緒に考えるような講義にできればいいと思いながらも、
なかなか実際には・・・というところ。

今日、二つ目の講義の最後に、曇鸞大師の『往生論註』に書かれている、次のような喩えを紹介した。

「〓(虫ヘンに惠)蛄は春秋を識らず」といふがごとし。この虫あに朱陽の節を知らんや。
(夏に生まれる蝉は、(二週間ほどで死んでしまうので)春や秋を知らない。この虫はどうして夏の季節を知っているといえるであろうか。)




夏に生まれる蝉は、二週間ほどで命を終えてしまう。そのため、もちろんのことながら「春」や「秋」を知らない。(しかし、春や秋を知らないということは、)この虫が(生きている)「夏」という季節をどうして知っているといえるのであろうか。(いえないではないか)

という位の意味であろう。
学生さんたちも、いろいろと感じてくれたようだ。
自分が今立っているところは、知っていて当然と思えるのだが、果たして知っているといえるのだろうか。今いるところしか知らないというのは、実は、今いるところさえも知ってはない、ということになるのだろう。

 自分にとっては、自分の認識の危うさ、そんなことを考えさせられることば。

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