仏教とは、その教えによって「自分」という枠を超えていく道ということができるかもしれないと考えている。
自分は、自分以外のほかの多くとの関わりの中で成り立っていて、それまで「自分」と呼んでいたものを、より大きなつながりの中でとらえていくことが教えられていく。
たとえば、僕は天気にさえ左右される。
晴れた日には明るく、晴れた日なりの気持ちになり、
雨の日には、ちょっと陰鬱な、湿った気持ちになり、
曇りの日には、曇りの日なりの。
そう、触れ合うものとの関わりのなかで、心がうつろい、行動が規定され、自分という感覚が立ち上げられてくる。
身近な人の状態や、ただすれ違っただけの人の行動で、「自分」がまた変化を起こされていく。
そういう自分だったと気づいていく。
いままで自分ならざるものであったものさえも、自分を形成し、自分そのものであったと認識せざるを得ないような世界を示しているように思う。
もちろん、それも仏教のすべてというのではなく、ほんの一面の把握としてであるけれど・・・。
2009年9月22日火曜日
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