「死」ということもあいまいだ。
いわゆる「死」を迎えたという状態は、「心臓が止まり」「呼吸がなくなり」「瞳孔が開き」…ということなどで、判断するらしい。医学的・法律的にはそれを「死」とするらしい。
でも、それはあくまで「医学的」「法律的」に判断されたのであって、はるか昔から絶対的にその定義が適応されてきたわけではない。
事実、今は「脳死」として、心臓が動き、呼吸をしていても、「脳」の状態によって、「死んだことにしよう」とされ、それを死と認められつつある。しかしそれは、それまでは「まだ死ではなかった状態」を「もう死んだことにしてしまおう」という、「死の前倒し」である。
臓器移植などの都合もあるが、そこで暴き出されたことの一つは、
「死」に対する医学による判断も、法律による判断も、結局は絶対的なものではなくて、便宜上、判断されたにすぎないのだ。
他のだれかから「もう死にましたよ」といわれて、その瞬間に、「生きていた者」として扱っていた人を、「死んでしまった人」として扱わなければならないなんていう、境界線なんてあるんだろうか。
生死って、そんなにびっしりと線引きされるものではないんじゃないか。
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