おとといと昨日(3/25-26)、西正寺の永代経法要でした。
みなさまのお陰で、今年も無事にお勤めすることができました。
お参りいただいた方も、お参りいただけなくともかげながらお気遣いいただいた方も、
ありがとうございました。
ご講師は豊島学由先生。毎年3月の永代経ではお世話になっています。
仏教の問題は、「生活」の問題ではなく「人生」の問題だというお話がありました。
最近、考えていたこととリンクすることでした。
仏教は、根本的には「暮らし」ではなく、「生きる」ことそのものを問題としている。
だから、判りにくいし、日常問題としてなかなか立ち上がってくることはないのだろう。
仏教は時代を超えて、いつも大事にされてきたといわれる。
時代が変わっても大事にされてきたということは、そこには「時代が変わっても変わらない」になにかがあるからと考えることができると思う。
仏教がずっと問題にしてきたこと。
それは、「生・老・病・死」。人が、生まれ、老い、病み、死ななければならないということ。
また、あるいは、どれだけ欲したとしても、求めるものがすべて手に入れることなどできないし、
どれだけいとおしいと思った人であっても、避けがたい別れを迎えなければならない、という苦しみがある。
起きて何を食べるか、どのような仕事して、どれだけお金を稼ぐか、何時に寝るか。どんな遊びをするか。
あるいは、暮らしていくのにどんな知識が要るのか。
これらは、時代によってどんどん変わる事柄だ。でも、仏教が根本で問題としているのは、そういった「暮らし」のレベルではなくて、単純に「生きていく」ことに、苦しみが避けがたいこととしてあって、不意にその問題が立ち上がってきたときには、決して無視することができない問題だということ。
仏教を伝えるためには、まずは、仏教が問題としているのは、暮らしではなくて、こういうことなんですよ~と、認識してもらわないといけないだろうと考えていたわけです。
法座をぐるっと見渡すと、そのような問題・苦しみを経験してきた人ばかりだ。
僕はといえば、そういうことが「ある」ことは知りつつも、主体的な「苦しみ」としては、ごく軽いものを味わったに過ぎない。 得がたいこと、思い通りにいかなかった苦しさってやつはすこしはあったけれども、まわりの人たちを見て、引き比べてみると僕のそれはごくほんの一部で、まだその「苦」を味わっていないのだろうと思う。
2009年3月27日金曜日
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読みました。なるほどなるほど。
返信削除永代経おつかれさまでした。
srutamさんへ。
返信削除どもども。ありがとうございます。
今日は、所用で三都物語をしました。神戸・大阪・京都。
また日曜日にお会いしましょう。