2009年8月24日月曜日

月参り。

月参り。
月参りをしていると、いろんなお家に上げてもらえます。
お家に入れてもらい、お仏壇の前でお勤め。
そのあと、すこしばかりお話をするというのが、ベーシックな「月参り」の形。

しかし、どこにいっても同じような対応ではいけないと最近とくに思う。

その方の「お坊さん」に対するイメージ。
「僕」に対するイメージ。
「お仏壇」・「仏事」に対して持っている感覚。
かかえておられる「苦しみ」

いろんな要素が絡み合って、いろいろな付き合い方や、期待・ニーズが現れてくるのが月参りという
仏事の現場。

お寺との付き合いの長さや、その他いろいろな要素はあるけれど、
「どこのうちでも同じようにやっていれば大丈夫」
ということは決してなく、また、絶対的な正解もなく。

手探りで勤めを果たしつつ、常に僧侶とは何かが問われているような感覚。
そして「わかった」と「わからない」の間をずっと行ったり来たりしながら努め続けるような。





ブログのテンプレートを模様替え。
緑色になりました。

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