お坊さんになりたい

 先日、とあるお参り先の、書道の先生のおうちで聞いた話。
 4月の花まつりに、ここ何年か来てくれている小学校低学年の男の子が、作文に「お坊さんになりたい」と書いたそうです。間違いなく花祭りの影響。
 その男の子は、その先生の教室に通っている子で、その子の家とお寺には直接関係があったわけではないのです。新しく関係ができ、しかもその男の子が、お坊さんになりたいというまでに興味を持ってくれた。これほどうれしいことはなかなかありません。新しいご縁ができていたということは、僧侶のつとめが果たせていた実感として、とてもうれしいことです。

 また、自分の求める生き方としてのよろこびもあります。
 どうせ生きるなら、「いくら恵まれていてもあんなふうにはなりたくない」と思われるよりも、「あんなふうになりたい」と思われるように生きたいと思います。
 とるべき道に迷ったときも、それが一つの道しるべになるように思います。
 なにが琴線に触れたのかはわかりませんが、「お坊さんになりたい」という言葉は、発した本人よりも、聞いたお坊さんの方をうれしくさせる言葉であったことは、まちがいありませんでした。

コメント

  1. すごい!!
    嬉しい言葉に出会ったね。
    これはかなり嬉しいことですよね。
    私が高校生の時に、同じ言葉を言ったとき、雅楽を教えてくれていた先生方(お坊さん)が、すごく喜んでくれたことを思い出しました。
    実際、お得度を済ませてお坊さんになりましたが、今でも気にかけて下さって、ご指導いただいています。
    りょうごくんも、このお子さんと交流が持てたら良いですね。

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  2. ども。下にもコメントありがとう。

    毎年、花まつりの時だけ、お寺に来てくれるお子様なのです。
    お坊さんの何がよいのか・・・。
    もしかしたら、「庭のあるお寺に住んでいるから」なんて理由ではないかと思ったりしたのですが・・・。まあいい風に考えています。

    どうあれ、「ああなりたい」と思われるようにありたいですねぇ。

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