一日の仕事を終えて、これを聞きに大阪・本町の北御堂に行きました。
北御堂 公開シンポジウム 「儀礼空間の必要性とはたらき」
プログラムは、
・内田樹先生「武道の道場空間とその指南力」
・中沢新一先生「葬送儀礼の黄金比率」
・釈徹宗先生「儀礼にゆさぶられる」
の講演があったあと、
寺本知正先生の進行で、パネルディスカッション。
18:00~21:00の3時間という長丁場だったけれど、とても興味深いお話がたくさんありよかった。
全体を通して感じたことは、
その「場」や「人」に蓄積されたものをいかに感じ、うけとめていくかということか。
思念・願い・死者を感じたり、それに向き合っていく能力についての示唆。
それは、「場」によって養われると共に、我々自身もいかにそのような
「清らか」で「意志」とか「思念」とか「願い」とか「敬意」が蓄積された場を編んでいくか、築いていくかということにかかっているのだろう。
それは内面的なものでもあるだろうし、
あるいは「儀礼」や「行為」はたまた、生存や生活に関わる「営み」が真摯に積み重ねられた場でも養われる可能性があるように感じた。
他人(他者ではなく)によって、「無機質に造られた場」には立ちあらわれえない、
人が時間を掛けて、「思い」とか「営み」を積み重ねた場所の意味。
そしてそのような場所を感じる能力(それは、今日的には喪失させられてきているという危機感も)をいかに養っていくかがテーマだったか。
以下メモ
(ざっと個人的な要約なので、シンポジウムでの言葉と異なるところがあります)
・「場」(道場)に対する感覚と、場(道場)によって養われる感覚。
→その場が蓄積してきた空気や、その場に関わってきた人の想いの蓄積が「場」の空気や、価値をつくる。
→その場に対する敬意や、「清らかさ(清めようという意志)」が場を造る。
→穢れ(汚れ)た場は、自己を守ろうとしてしまう。体を硬くし、小さくする。
・「空間とやりとりする能力」を養成するには、実際に「そういう場」に触れないといけない。
・儀礼とは「繰り返し」の行為。 同じ動作を繰り返し行うことが、儀礼の本質的なことがらの一つ。
・人は、「他者の不在」を、なんらかの象徴を用い、それを記号にすることによって、「儀礼」行為を行っている。
・死者儀礼は、「旧石器~縄文時代」「弥生時代~」「都心の時代」という、3つの基層からなり、縄文時代は死者とともにあったものが、弥生時代からは、死者が集落の外側に配置され「距離」が生じるように。
・「儀礼」が持つ言葉を見直す。
・ロゴス(教義)によって、パトス・エトスを切り捨ててきてしまったのではないかという反省。
・どのような宗教者の力も、その言葉の力も、蓄積されてきた「儀礼(勤行)がもつ力」にはおよばないのではないかという事例。
2017年2月10日金曜日
2017年2月7日火曜日
テラからはじまるこれからのハナシ。 4回目に、脱線事故現場について考えるということについて、
テラハのイベントページはこちらです。
https://www.facebook.com/events/151892765303253/
次回のテラハについて、すこしお話をしたいと思います。
テラハでは、「JRの脱線事故」という出来事そのものよりも、
「あの現場という場所」そして、そこに関わる私たち自身の心や、「尼崎」という街について、考えたいと思っています。
それは、すこし、複雑な話かもしれません。
それは、主催者の私自身の思いを語るとすこしご理解いただけるかも知れません。
私自身は、あの事故で被害を受けた知人がいるわけではありません。あの現場に、足繁く追悼に足を運んでいるわけでもありません。
しかし、平日の通勤や、檀家さんのおうちへのお参りの際など、日常的にあの踏切をとおり、あのマンション(だった場所)の前を通過しています。そのたびに、あの事故のことを思い出し、あそこへ足を運ばれている方、人生が変わった方がいたことを思わずにはいられません。24時間、絶え間なく交代して警備を続けている人の姿にも、考えさせられるものがあります。
4月25日には、尼崎駅で、たくさんの黒い服を着た方、花を持たれた方と出会います。あるいは、その頃には、一列になってその事故の現場へ足を運ばれる方たちを見かけることがあります。
「あの事故の関係者ですか?」と問われれば、私は「いえ、そうではありません」と答えます。ただ、「近所に住んでいる者」に過ぎません。
しかし、近所に住んでいるという点において、事故の現場、人が追悼に訪れる場所と共に暮らしているという点において、さまざまな思いをかかえて生活し、あの場所を目にしてきました。その意味で、「当事者ではないけれども、影響を受けているという意味においては、当事者ならざるをえない」という曖昧な立場にあるのではないかと思います。
すこし、話が変わりますが、22年前の「阪神淡路大震災」における、私の立場にもかさなる点があります。
京都や、神戸からすこし離れた地に行き、「尼崎出身です」というと、「地震大丈夫だった?」と聞かれますが、「たいしたことありませんよ」と答えていました。
長田をはじめとした神戸、あるいは尼崎でも武庫川にちかい西側に比べて、比較的被害は軽いものでした。しかしそれでも、家はかなり傷み、本堂はすこし傾き、鐘楼と敷地の壁は倒壊して、結構な被害がありました。しかし、「地震でかなり大きな被害があった」ということは、なにか心にひっかかるものがあって「神戸ほどではないんです」等といっていたように思います。
「阪神大震災」というと、神戸の街のイメージがどうしてもあり、私の住む地域は、震災被害の「周辺」に位置していたといえるのかもしれません。それ故に、典型的な「震災」という言葉でくくってしまうことについての違和感、あるいは、より甚大な被害のある方に対する「申し訳なさ」みたいなものがあったのかもしれません。
つまりJRの脱線事故にしても、阪神大震災にしても、テレビや、メディアで提示されるような、その中心にいるような「当事者性」(あるいはそのイメージ)と隔たりがあるがゆえに、かえってそのものとの距離を私たちは正しく捉えていなかったのではないか、「わたしたちなりの関わり」ということについて、言葉をもたずにここまで来てしまったのではないか、という思いがしてならないのです。
その意味で、地域にあるあの事故現場は、わたしたちにとっては、いったいなんで、どのような関わり方ができるのだろうか。(あるいは震災を初めとして「当事者」として関わることをすこしさけていたような、曖昧な関わりをしてきた事柄もふくめて)、そのような曖昧な関わりについて目を向けてみたいと思うのです。
「尼崎」という街が抱える「悲しみ」の場所を通じて、私たちなりの関わりのあり方を、私たち自身の言葉で語り、考える、そんな時間が持てたらとおもっています。
https://www.facebook.com/events/151892765303253/
次回のテラハについて、すこしお話をしたいと思います。
テラハでは、「JRの脱線事故」という出来事そのものよりも、
「あの現場という場所」そして、そこに関わる私たち自身の心や、「尼崎」という街について、考えたいと思っています。
それは、すこし、複雑な話かもしれません。
それは、主催者の私自身の思いを語るとすこしご理解いただけるかも知れません。
私自身は、あの事故で被害を受けた知人がいるわけではありません。あの現場に、足繁く追悼に足を運んでいるわけでもありません。
しかし、平日の通勤や、檀家さんのおうちへのお参りの際など、日常的にあの踏切をとおり、あのマンション(だった場所)の前を通過しています。そのたびに、あの事故のことを思い出し、あそこへ足を運ばれている方、人生が変わった方がいたことを思わずにはいられません。24時間、絶え間なく交代して警備を続けている人の姿にも、考えさせられるものがあります。
4月25日には、尼崎駅で、たくさんの黒い服を着た方、花を持たれた方と出会います。あるいは、その頃には、一列になってその事故の現場へ足を運ばれる方たちを見かけることがあります。
「あの事故の関係者ですか?」と問われれば、私は「いえ、そうではありません」と答えます。ただ、「近所に住んでいる者」に過ぎません。
しかし、近所に住んでいるという点において、事故の現場、人が追悼に訪れる場所と共に暮らしているという点において、さまざまな思いをかかえて生活し、あの場所を目にしてきました。その意味で、「当事者ではないけれども、影響を受けているという意味においては、当事者ならざるをえない」という曖昧な立場にあるのではないかと思います。
すこし、話が変わりますが、22年前の「阪神淡路大震災」における、私の立場にもかさなる点があります。
京都や、神戸からすこし離れた地に行き、「尼崎出身です」というと、「地震大丈夫だった?」と聞かれますが、「たいしたことありませんよ」と答えていました。
長田をはじめとした神戸、あるいは尼崎でも武庫川にちかい西側に比べて、比較的被害は軽いものでした。しかしそれでも、家はかなり傷み、本堂はすこし傾き、鐘楼と敷地の壁は倒壊して、結構な被害がありました。しかし、「地震でかなり大きな被害があった」ということは、なにか心にひっかかるものがあって「神戸ほどではないんです」等といっていたように思います。
「阪神大震災」というと、神戸の街のイメージがどうしてもあり、私の住む地域は、震災被害の「周辺」に位置していたといえるのかもしれません。それ故に、典型的な「震災」という言葉でくくってしまうことについての違和感、あるいは、より甚大な被害のある方に対する「申し訳なさ」みたいなものがあったのかもしれません。
つまりJRの脱線事故にしても、阪神大震災にしても、テレビや、メディアで提示されるような、その中心にいるような「当事者性」(あるいはそのイメージ)と隔たりがあるがゆえに、かえってそのものとの距離を私たちは正しく捉えていなかったのではないか、「わたしたちなりの関わり」ということについて、言葉をもたずにここまで来てしまったのではないか、という思いがしてならないのです。
その意味で、地域にあるあの事故現場は、わたしたちにとっては、いったいなんで、どのような関わり方ができるのだろうか。(あるいは震災を初めとして「当事者」として関わることをすこしさけていたような、曖昧な関わりをしてきた事柄もふくめて)、そのような曖昧な関わりについて目を向けてみたいと思うのです。
「尼崎」という街が抱える「悲しみ」の場所を通じて、私たちなりの関わりのあり方を、私たち自身の言葉で語り、考える、そんな時間が持てたらとおもっています。
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