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180719失敗百物語 第六回

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ピッコロシアターの劇を鑑賞したその夕方、 藤本遼氏・丸川正吾氏の企画「失敗百物語」第六回が西正寺で開催された。 西正寺での失敗百物語は、前回( https://ryogo1977.blogspot.com/2018/05/blog-post_11.html )の開催に引き続いて2回目。 今回は、女性の僧侶と、女性の牧師が「わたしと宗教者のはざま」というテーマで話題提供くださった。 「宗教者」としてき期待される姿と、実際の自分とのギャップ。 あるいは、世間的な「宗教者」のイメージと、「宗教者」としていなければいけない者のジレンマや、期待の対象の裏側におかれて傷ついてしまうようなケース等。 「結婚」「出産」という、人生のプロセスのなかで、「宗教者」としてのあり方と起こる乖離、抱えざるを得ないジレンマ。(家族・子どもがいるがために、自分だけの判断や思いで行動できなくなる等)  参加者の中には、あまり宗教者と接点がなく、生の宗教者の声を聞けてよかったとか、あるいは普段付き合いしている宗教者と違う、「悩み」や「迷い」を抱えながら前に進もうとしている宗教者の姿に触れて、刺激をうけたというような方がいらっしゃったようだ。 個人的にも、そうそう、あるある。と思うことがたくさんあった。 ある意味で、あまり一般には知られていない「宗教者あるある」もいい形で共有された場であったように思う。 (これは打ち上げの席で、まわりの人たちと共有したこともであるが)  宗教者としての悩みや、負わされ、抱え込んでいた責任、制限がある、という実体を参加した人たちに知ってもらうことができ、宗教者としてのあり方に触れてもらえたとは思う。一方で、それらが宗教者特有のものである、という面で語られていて、あまり一般化されなかったがために、「宗教者はやはり特別」という面が強調されてしまっていたかなという反省もあった。    私自身、僧侶として、寺の後継者として育ってきて、「お寺の子だから」「お坊さんだから」という(自他ともにかけてしまっている)バイアスの中で生活してきたというのも事実だ。しかし、一方で、それは「お寺」「お坊さん」だけではなく、さまざまな言葉や立場に置き換えることができるようなものでもある、とも考えている。(あるときから、そのように考えられるようになった) ...

 ピッコロシアター開館40周年記念 ピッコロ劇団61回公演「布団と達磨」

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先日、「8時ダヨ!神さま仏さま」に出演させていただいたときに、ゲストでお越しいただいた、岩松了さんが代表のピッコロ劇団。  そのピッコロ劇団の公演を観劇してきました。  ピッコロシアター開館40周年記念、ピッコロ劇団61回公演は、岩松了さん作・演出の「布団と達磨」。  いや、おもしろかったです。  まわりにいた年配の方が、幕が閉まったとたん、「え?終わり? むずかしいわぁ」という声もありましたが、ある意味、確かに理解するには大変むずかしい劇だったのかも知れません。  しかし、繰り広げられているのは、あくまでも日常。  ある家の、ある一日の、夫婦の寝室で、起こった出来事。  そして、間違いなく、面白い話だったのです。  しかし、その面白さを「なぜ僕が面白いと思っているのか」ということについては、今ひとつ説明ができません。 その意味で、難しいといえば、そうだったのです。自分がなにをうけとめていたのか、まだ消化できない、むずかしさであり、面白さなのです。  見ている途中から、もう一回見ないといけないのではないかというような思いがしていました。  一番の衝撃は、何気ない布団にあんなものが仕掛けられていたとは! ということでした。(笑)  朝から動き回って、少し体をつかっていたのですが、退屈することも、飽きることもなく、あっというまに2時間過ぎていたように思います。 いや、見て良かったです。  終演後、ご配慮いただいて、おなじタイミングで来ていたマサミさんと、楽屋にお招き頂きました。岩松さんに御礼をお伝えできたのと、噂で聞いていた方々ともご挨拶する機会があり、大変ありがたいひとときでした。

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