「宗教的な救い」とはなにか?
・先週は宮崎先生と対談でした 先週の土曜日 4月13日の午後は、相愛大学の企画で、宮崎哲弥先生の講義にゲストスピーカー・対談相手として、登壇させていただく機会を得ました。 以前このブログでもご案内していたこちらです。 【登壇情報】宮崎哲弥先生と対談します。 https://ryogo1977.blogspot.com/2024/04/blog-post_4.html こちらの講義は、相愛大学の講義として学生の単位となりつつ、また一般にも有料で公開されているものとのことでした。 宮崎先生の講義を受けに来られた一般の方の他に、相愛大学の学生さん、関係者・先生方が出席されていました。私のブログの投稿で、興味を持ってくださった友人・私の講座の受講生の方も何名かお越しくださっていました。(ありがとうございました) ・講座、対談の内容は… 宮崎先生の仏教理解や講義スタイルの独自性に、いろいろと考えさせられるところもありました。 しかしながら、登壇させていただいた後半部分は、宗教と社会の関係性から、宗教者の社会活動というような部分に話題が広がっていきました。 お寺の活動、臨床宗教師や災害支援、ビハーラ活動、貧困支援など。チャプレンの活動から、軍隊へのコミットや、教誨活動等についても話題は及びました。 いろいろと多岐にわたりましたが、聞かれたことにこたえつつ、話題を広げていくという時間で、大変楽しく過ごさせてもらいました。(受講された学生さんたちの感想も、なかなか良かったようで、うれしく頂戴しました) ・教誨活動にふれて 話題が「教誨活動」に及んだとき、「宗教的な救い」とはなにかということに触れる場面がありました。 宮崎先生の講義でも「救い」ということに注目されている発言があったので、そこに触れていく必要を感じたからです。 この「教誨活動」とは、教誨師という、刑務所などで活動する宗教者の活動のことで、浄土真宗の僧侶も多くこの活動にかかっています。先年、大杉連さん主演で「教誨師」という映画も公開されました。 Wikipediaのリンクを参考に置いておきます。 Wikipedia「教誨」 教誨師の活動は、刑務所に足を運び、受刑者に宗教的かかわりをすることをその勤めとしています。一番シリアスな場面では、「死刑」になる直前に、その受刑者の要望によっては面会し、...