2007年6月23日土曜日

人文研究

 とある先生が、親鸞像は50年前と比べてかなりの変化が起きているといっていた。

 つまり、マルキシズムなどの影響から、いわゆる庶民のヒーローというか農民とともにいる親鸞というイメージが期待され、また付与されていたことを指していると理解している。

 

 人文研究もやはり、進歩してはいるのだ。



 歴史研究・思想研究もその思想そのものを追及していく作業でありつつも、追及する側の主体がその研究内容に反映されるのだろう。また、ブームになっていることも、時代的な関心が反映されているとも言うことができるか。



 日本仏教に対する研究も、(素人ながら思うに、)従来の判然とした純粋教義の追及といった印象から、神仏習合や諸宗の関連性などといった混沌とした状況であったことを確認して、受け入れ、またそれを秩序立てて理解しようという展開をしているのように感じる。

 一度整理されたものを、もう一度ばらばらにして、それぞれの構成要素をもう一度丹念に調べなおしているといった感か。



 おもいつくまま、書き連ねました。失礼。





 とりあえず、今から、ライアーゲームの最終回。



3 件のコメント:

  1. いつも楽しみに拝見しております。
    ��日本仏教に対する研究も・・・
    まさにその通りだと実感してます!
    今大事なのは、
    きちんと各「宗派」の思想を腑分けしつつ、
    なおかつ全体としての交流情況を把握していく作業ですよね。
    それが「宗派仏教」を超える日本仏教研究だと。。。
    今日は戒律文化研究会の大会(@西大寺)に参加し、新たな刺激を受けてきました。

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  2. ��のろたんさん
     意外な大物の登場に驚いております。
     素人が書きなぐった感でお恥ずかしいですが、ありがとうございます。
     実は、昨夜ふと考えていたことは、
     「現在行われている日本仏教に対する関心は、現代的な思想状況が何かしら反映されているのではないか?そして、それはなんなんだろうか?」ということなのです。
     マルキシズムとか、中世の個人的自我の芽生えを喚起させたのが阿弥陀仏信仰だとか云々、一昔前に声高に言われていたことは、当時の世情を反映していたのだなぁと。だったら、現在の研究の関心は、なにが反映されているのだろうか?ってことです。

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  3. りょうご つづき2007年6月25日 2:22

     もっというと、「混沌とした感じの思想状況」を受け入れるだけの素地が、現在にはあるのではないかと。
     たとえば、一般的な就労状況などの変化とか、あるいはテロとか、政治状況の混乱とか、われわれでちょっとブームが来ているナショナリズムの勃興とか、そんなんもきっと研究の関心に反映されているのだろうと、思ってみたりしたわけです。
     
     研究状況から逆に現代を眺める視座があるのではないかと。
     某講義で「非僧非俗」という言葉に触れたのですが、触れた後で、このことばも、実は時代的な関心が反映されていた言葉だったのではないか?という疑惑を強く考えたりしました。
     当たり前のように「重要だ」と考えていたタームさえも、時代が重要にさせていたのではないかと。
     素人が思いつくままに失礼しました。
    それにしても、興味深そうな研究会にまたいかれておられますな。
    明日、またお伺いいたします。
    では。

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