応典院とグリーフのセミナー
昨日7月18日(土)。 午前中、法務。 午後14時から、大阪・応典院で開催された エンディングセミナー「遺族サポートとお葬式~グリーフでつながる」 に参加。 http://www.outenin.com/modules/contents/index.php?content_id=279 講師は橋爪謙一郎氏。 お葬式などで、遺体に保存処置を施したりするなどの エンバーミングの第一人者で、グリーフサポートの取り組みをされている。 近著は 『お父さん、「葬式はいらない」って言わないで』 (小学館101新書) 橋爪氏の講演・応典院秋田住職の対談との二部構成。 全体として、葬儀をグリーフの観点からどのようにすべきかという内容。 ちょっとした気づきで、悲しみの中にある人たちの支えや、悲嘆を少なくできる実例を教えてもらったように思える。 セミナー後、希望者では橋爪先生を囲んだ座談会形式の勉強会。 葬祭業者さんや、NPO関係者など、いろいろな立場の人が参加。 葬儀業者の方も、グリーフのケア・サポートのため取り組み―DMの送付や、場の設定などをされていて、非常に興味深い話を多く聞くことができた。 ただ、いろいろな話を聞く中で明確になったのは、 自分のスタンス。 僧侶は僧侶であるということ。 仏教者というスタンスの上で、グリーフに取り組むということ。 話のなかで、「グリーフケアのために、規定の概念、宗教の教義をも捨てるべき」というスタンスがあることを提示されていたけれど、 宗教者が、自らのアイデンティティである「宗教」を捨てては、本末転倒であるように思う。 グリーフケアのために捨てるべきではく、 仮に「教義」や「仏教者」の立場を捨てることがあったとしても、それは「グリーフ」のためではなく、 そうすることが仏教であるからだろうと思う。 グリーフケアのために、仏教者の立場を捨てるならば、それは「グリーフケア」の専門家。 仏教者は、仏教者の立場を捨てるとしても、その「捨てる」という行為が、仏教にもとづくものであり、より仏教者であるというあり方の上ですべきじゃないか。 矛盾を抱えた内容だけど、そうなんじゃないか。