2010年9月29日水曜日

有川浩『阪急電車』

有川浩『阪急電車』(幻冬舎文庫)

関西人としてはノスタルジーやら、郷土愛やらがくすぐられる。
なんと言ってもモチーフが秀逸!「阪急電車」

重要な動脈でもなく、西宮北口から宝塚まで、ほんの15分で終点につくローカル線が舞台。
各駅の描写や特徴、ロケーションも見事に反映されていて、
読んだだけで、乗りたくなる一作。

実際に、休日・日曜日に読んで乗りたくなった僕は、その日のうちに「宝塚線」に乗りに行きました。

乗って思ったこと。
本来どこかへ行くための「手段」であるはずの電車移動が、「目的」化され、それのみが「楽しみ」であることは、なかなか得がたいことなのではないかということ。
そう、ただただ楽しかった。

宝塚線はなかなか乗ることがないのだけれど、本を片手に、
「うん!確かにそうなっている。」という事ばかり。

作品の中で唯一下車して、駅前の風景が描かれる「小林駅」で下車。
小説の描写と一々一致していることだけで、感動。
改札に、ちゃんと「ツバメの巣」が3つ、本当にあったのを見たときには、ちょっと感激。

家を出てから帰るまで、ほんの一時間半で物語の舞台巡りをしてきました。

ちなみに、作品それ自体もとてもおもしろい内容。
翌日読んだ、うちの奥さんからは、この本に出てくる「女子たち、君のタイプやろ」とのお言葉。
結構、図星でした。


いやぁ、おもしろい一作でした。


インプット

8月、9月はいろいろと立て込んでいてほとんど本を読めずに過ごした。
ようやく落ち着いて、過ごせているのかな?

京都への往復やちょっと入った喫茶店で本を読む時間が確保できるようになった。
(今までは、仕事の他にも合気道の記念誌の編集とかで時間がとられていたのが大きかった。
でも、あの仕事のおかげでいろいろと新しい技術が身についたから、まあヨシ!)

特にこの週末からは、何冊か本を読めた。

・綿矢りさ『勝手にふるえてろ』
・有川浩『阪急電車』
・金文京『漢文と東アジア』
・水木しげる『悪魔くん(全)』(ちくま文庫)
・水木しげる『悪魔くん千年王国(全)』(ちくま文庫)
・内田樹『下流志向』

こうなると問題は、インプットで満足して、入れた情報の整理とか、
アウトプットがめんどくさくなってしまうこと。

でもそれをしないと、情報の整理も、記憶の定着もいまいち。
やんなきゃいけないんだけど、面倒くさいんだよなぁ・・・。


2010年9月3日金曜日

マイケル・サンデル『これから「正義」の話をしよう』

マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』

いま話題のベストセラー。今日も研究所で、ふとしたことから話題に上がった。
本書のテーマは、正義に関する、アプローチに関する論点を整理した上での議論ということになるだろう。

価値あるものの分配にアプローチする三つの観点があるという。つまり「幸福」「自由」「美徳」。
そして、「われわれの議論のいくつかには、幸福の最大化、自由の尊重、美徳の涵養といったことが何を意味するのかという見解の相違が現れ」、「また別の議論には、これらの理念同士が衝突する場合に、どうすべきかについての意見の対立が含まれている。」
そして、「この本では、正義に関するこれら三つのアプローチの強みと弱身を探っていく。」というのだ。



われわれが「正しいこと」をするとき、それは何を基準として、何に基づいているのか、その根底を問い直すような作業をさせてくれる本。

五人を助けるために、一人を殺すのは是か非か。
貧困者を助けるために、富裕者に高率の課税をすることは是か非か。
隠れている友人を助けるために、嘘を言うべきか否か。

「どうすべきか」ではなく、その一々の選択が、どのような価値観に基づいているのか
そしてそれをつきつめたときにどのような矛盾にぶつかるのか。
複雑な倫理思想、政治思想が基づく根底を、問いの中で明示してくれるような良書。

読んでいるときに、ふと、中学時代の先生が道徳の時間に、僕らに与えてくれた問いを思い出した。


自分の子どもが難病で苦しんでいる。
その薬は1000万円するが、自分の手元にはどうやっても500万円しかない。
その薬は、薬屋さんにあるが、500万円ではどうしてもゆずってくれない。
自分の子どもは早く薬を与えなければ死んでしまう。

そのような状況で、自分ならどうする?

中学生はどうしても正解は何か?と聞きたくなってしまうが、先生は正解はない。と
何度も強調していたように思う。
問われているのは、正解ではなく、答えのない選択をしなければならないときに、何を大切にするかということだろう。
悪を犯さざるを得ない場面、後悔を背負わざるを得ない場面というのが人生の中ではやってくる。
どう動いても苦しまざるを得ない選択というのがあるんだろう。
そんなとき、決断すべき基準は何か?

そんなことが問われていたように思う。
ふと、この本を読んで、その先生の投げかけを思い出した。






ぬぬぬぬぬ。

今日は、午前研究所勤務のあと、午後からNHKのカルチャーセンター出講。
いつも第四金曜日のところ、今回は大阪の教室が月末に引っ越しをするため、イレギュラーな講義日程。
先週8月の講座をしたのに、次の週にもう9月の講座。
なんかへんな感じだ。

準備もままならず、ちょっと反省の多い講座に。
また残念なことに、予定やらお体やらもろもろのご事情で、
3名の方が今月で最後と挨拶に来られる。
まことに残念。

10月からは少し人数も減りそう。
一番怖いのは、規定の人数に達しなくなって、
親方NHKから、講座終了~!なんていわれること。維持できるのかな~とひやひや。
前の豊島先生から受け継いだ講座だけに、つぶしてしまうわけにはいかない。

いい講義をするには、構成や言葉を選ぶのに、十分に時間をかけないといけない。
でも、かけてもいい講義ができるとも限らない。
そもそも、なにがいい講義なのか。
自分がいい講義と思っていても、受講者さんたちがいまいちと思うこともあるだろうし、
逆もまたしかり。
やっていくなかで、探っていくしかなく・・・。

でも、ふと思い返すと、一年目は「受け継いだ感」を抱えつつしていたのが、
ちょっとずつ、自分の色が出せているように思える。
まだまだ、変化はします。
講義の中で、「なにがイイ講義なのか」探していくしかないので・・・。
試行錯誤で、悩んだり、へこんだりしながらやっています。

でも、先生がブレてはいけません。

「宗教」・「カルト」を扱う講義をするので

今日の龍谷大学文学部で担当している「伝道学特殊講義」(学部3・4回生対象)は、講義で指定しているテキスト 『基礎ゼミ宗教学(第2版)』 。今回は、第9章の「カルト問題」にどう向き合うか?―カルト、偽装勧誘、マインド・コントロール」を扱う予定。  数年前に大阪大学が、大学としてのカ...