福岡伸一『できそこないの男たち』 (光文社新書)
以前買っていて、積ん読だった本。
作者はお気に入りの福岡先生。
テーマは「男」について。
「精子」「染色体」「遺伝子」何が男を男として誕生させるのか。
男は、生殖においてどのような役割を担わされているのか。
そんなことがテーマの一冊。
これまでの福岡先生の著書と同じように、研究史を追いかけるような形で話が展開していく。
相変わらず文章が美しい。理系なのに、なんでこんなにいい文章が書けるんだろうと思う。
文才がうらやましい。
◇気になった文章
「教科書はなぜつまらないのか。それは事後的に知識や知見を整理し、そこに定義や意味を付与しているからである。…中略…教科書はなぜつまらないのか。それは、なぜ、そのとき、そのような知識が求められたのかという切実さが記述されていないからである。そして、誰がどのようにしてその発見に達したのかという物語がすっかり漂白されてしまっているからでもある。」(p. 37)
「見える、とは一体どのようなことを指すのだろうか。百聞は一見にしうかず? 否、私たちは、一見しただけではほとんど何も見ることはできない。あるいは、私たちは、一見しただけでそこに、ホムンクルスを作り出すことができる。」(p. 53)
「私は忘れていたことを自戒の意味をもって思い出す。私が膵臓の細胞を
見ることができるのは、それがどのように見えるかをすでに知っているからなのだ。…中略…かつて私もまた、初めて顕微鏡を覗いたときは、美しい光景ではあるものの、そこに広がっている何ものかを、形として見ることも、名づけることもできなかった。私は、途切れ途切れの弱い線をしか描くことができなかったはずなのだ。つまり、私たちは知っているものしか見ることができない。」(p. 55)
「もちろん誰の目にもそれが見えたのではなく、ネッティー・マリア・スティーブンズの目だけがそれを見たのだ。ところが全く不思議なことに、ネッティーがそう言明して以来、彼女だけに見えていたものは、誰の目にも見えるようになったのである。」(p. 79)