何を求めるか。


ここ数日、法話をしながら、ふと思ったこと。

「思い通りになるようにするにはどうしたらいいのか?」と考えているうちは、しんどい。叶うことのない望みだから。
いろんな人に会ったけれど、「人生がまったく思い通りになった」という人は知らない。

むしろ「思い通りにならない人生をどのように生きるのか?」という問いは、
むしろ仏教的であるといえるんではないかと。なぜならば、避けることのできない苦しみがある、というのが仏教的な問いの出発点(の一つである)といえるだろうから。

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