池口龍法さんの『南部再生』の文章。
http://www.amaken.jp/nambu/49/14.htm
尼崎で育った自分についてもじっくりと振り返えさせられる文章だった。
インスパイアされて、思ったことを少し書きます。
小学校は、僕が2年生の時に創立5周年を迎える新しい学校だった。
校舎もきれい。
暴力や問題は、(もしかしたらあったのかもしれないが、子どもの僕にはほとんど)
目にすることもなく、安定した、穏やかな小学校時代だったと思う。
自分の性格にその小学校の6年間は大きく寄与しているように思う。
ところが、進学した中学校は、当時は市内で1・2を争う問題のあった学校で、
「荒れた」と表現されるイメージは一通り、そろっていた。
個室の扉は破壊されていた。
タバコの吸い殻は廊下やトイレの至る所にあった。
授業のボイコットする生徒もあたりまえにいたし、
3年間のうちに、
先生が怒って授業を辞めて、泣いて出て行ったことも、
同級生が、国語の時間に先生ととっくみあいのケンカを始めたこともあった。
いまとなっては、いい思い出。
授業中に、学校のまわりの道路を、
同級生がバイクにのって、走り回っていたこともった。
誤解のないように書いておくと、僕は、
半年ほど、病気を理由にほぼ自主的に学校へ行かなかった以外は、
いたってまじめな中学生だったと思う。
一方で、バスケ部だったおかげで、荒れた友人もでき、
トラブルや因縁に巻き込まれることも少なかったし、
それになり、のびのびとやっていたように思う。
そういう中学校時代を思い返すと、
教壇や、人前にたって話すときに、そういう場所で育った経験というのが、
自分のなかに影響を与えているのではないかと気がついた。
そういう荒れた友人たちは、当たり前のようにある「前提」を一通り拒否していたし、
その論理は、同年代の僕たちにも共有されていた。
そもそも
「なぜ授業をまじめにうけなければいけないのか」
「学校にいかなければいけないのか」
「先生のいうことを聞かないといけないのか」
稚拙な反発なようだけれど、
知らない間に設定された前提に、全力で反発して、
「簡単には従わないぞ!」という反抗は、
大きくなった僕に、目の前の人と向き合うときに、
「前提自体を疑う者がいるかもしれないぞ」という思いを抱かせてくれているように思う。
当たり前のようなことを「当たり前じゃないか」と頭ごなしにいうのではなく、
「前提が共有されていないことを前提にして話をすることが大事ではないか」
ということは強く意識するようになった。
「その前提で納得する」のではなく、
「その前提を納得できるように語る」
「その前提を共有できるように語る」
ということが、なにかを語り、伝えようとする側に求められる態度なのではないかなと。
いろいろあった中学校だけれど、
「もしも違うところに行っていたら。。。。」なんて夢想することもなく、
面白い中学校時代だったと、振り返られるのは、
荒れていたも楽しい、なっとくできる場所だったんではないかなと、振り返ることができる。
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