2015年11月26日木曜日

先日、あるフィールドワークに同行して、稲荷大社へいった。
大学時代にランニングコースでもあった稲荷山を昼から夕方にかけて、ぐるっと一周、登り下り。

フィールドワークは楽しい。
理論ではなく、信仰の現実、混沌の実際を目にする。
「こんなものあるのだ」という、驚きもある。


その中での会話。
日本人のいう「神」と、一神教の「神」って、はやり違いますよね。
日本の「神」を、Godと翻訳するのは、適当ではないんではないか?ということ。


そんなことを思い出して、ネットで検索してみると
日本の神様をgodと翻訳することへの抵抗や問題を記したページもあって・・

http://www.izumo-murasakino.jp/yomimono-024.html

http://park10.wakwak.com/~ebible/bsrch/engbib/god.html


実際のフィールドをうろうろしていると、
そういうことも実感をもって把握したり、考えたりすることもできる。





2015年11月24日火曜日

余白

 いまの職場は、非常に効率がいい。
 ただ、効率がいいだけでなく、要点をまとめて伝えるということに、つねに相手への配慮が働いているようで、スムーズにかつ心地良く仕事が回っていることが多い。

 そんななかで、ときどき、自分が「浮いてしまった」と思ってしまう場面もある。
 ついつい、いらぬことをしてしまうのだ。

 コミュニケーションは、「必要な部分」だけではなく、「不必要な部分」のやりとりに、人間らしさや個性をやりとりできるのだという思いもあって、ついつい余計なことを「よかれ」とおもってしてしまう性のせい。

 逆に、効率よく、必要なことだけをやりとりすることの中にある「配慮」があるから、スムーズにかつ心地よくすすむというのは、考えてみると、仕事をする上では、そちらの方が当然のこと。
 多忙な忙しいビジネスシーンでは、むしろそちらが当然のこと。


 とはいえ、相手がもたらす「余白」を余分なものとも思わない心は忘れないようにしておきたいもの。
 

 


「宗教」・「カルト」を扱う講義をするので

今日の龍谷大学文学部で担当している「伝道学特殊講義」(学部3・4回生対象)は、講義で指定しているテキスト 『基礎ゼミ宗教学(第2版)』 。今回は、第9章の「カルト問題」にどう向き合うか?―カルト、偽装勧誘、マインド・コントロール」を扱う予定。  数年前に大阪大学が、大学としてのカ...