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先日、あるフィールドワークに同行して、稲荷大社へいった。 大学時代にランニングコースでもあった稲荷山を昼から夕方にかけて、ぐるっと一周、登り下り。 フィールドワークは楽しい。 理論ではなく、信仰の現実、混沌の実際を目にする。 「こんなものあるのだ」という、驚きもある。 その中での会話。 日本人のいう「神」と、一神教の「神」って、はやり違いますよね。 日本の「神」を、Godと翻訳するのは、適当ではないんではないか?ということ。 そんなことを思い出して、ネットで検索してみると 日本の神様をgodと翻訳することへの抵抗や問題を記したページもあって・・ http://www.izumo-murasakino.jp/yomimono-024.html http://park10.wakwak.com/~ebible/bsrch/engbib/god.html 実際のフィールドをうろうろしていると、 そういうことも実感をもって把握したり、考えたりすることもできる。

余白

 いまの職場は、非常に効率がいい。  ただ、効率がいいだけでなく、要点をまとめて伝えるということに、つねに相手への配慮が働いているようで、スムーズにかつ心地良く仕事が回っていることが多い。  そんななかで、ときどき、自分が「浮いてしまった」と思ってしまう場面もある。  ついつい、いらぬことをしてしまうのだ。  コミュニケーションは、「必要な部分」だけではなく、「不必要な部分」のやりとりに、人間らしさや個性をやりとりできるのだという思いもあって、ついつい余計なことを「よかれ」とおもってしてしまう性のせい。  逆に、効率よく、必要なことだけをやりとりすることの中にある「配慮」があるから、スムーズにかつ心地よくすすむというのは、考えてみると、仕事をする上では、そちらの方が当然のこと。  多忙な忙しいビジネスシーンでは、むしろそちらが当然のこと。  とはいえ、相手がもたらす「余白」を余分なものとも思わない心は忘れないようにしておきたいもの。    

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