2017年8月10日木曜日

170709カリー寺(2)トーク「ここがすごいよ 尼の銭湯」

12:45 ここがすごいよ 尼の銭湯


カリー寺、本堂でのプログラム12:45からは、尼崎市道意町にある「蓬莱湯」の稲里美さんにお越しいただき、尼崎の銭湯について語って頂きました。聞き手は、カリー寺住職の私。
 

 尼崎は、全国でも有数の銭湯密集地域でした。最盛期(昭和40年代)には、市内で162もの銭湯がありましたが、現在では37軒にまで減少しているということです。
 しかしそれでも、まだ全国的にみて銭湯が多い地域ではあります。

 ではなぜ、こんなにも尼崎に銭湯はたくさんあるんでしょうか。稲さんは、そもそもの文化や、高度経済成長期の住環境などが理由としてあったのではないかといいます。
 いまでは逆に、その住環境の変化(内風呂の増加等)が、銭湯利用の減少につながり、銭湯の経営が難しくなり、減少の一途を辿ってしまっている現実もあるといいます。

 トークでは、そのような苦境の中でも、特徴ある稲さんオススメ銭湯や、尼崎の銭湯のグループとしての取り組みについてもお話を伺いました。




 ・まだ、薪で火を焚いてお湯を沸かしているという90年の歴史を持つ銭湯
 (薪で焚いたお湯、ガスで焚いたお湯、ボイラーで焚いたお湯には違いがあるそうです。すごい!)、

 ・脱衣所、浴場はもちろんバックヤードからボイラー室まで清掃・整理整頓が行き渡り、サービスも完璧というお風呂屋さんからも尊敬を集める(稲さん曰く)「銭湯 of 銭湯」。

 ・源泉掛け流しで、「入門者向け」というとても気軽に入りやすい銭湯

 などなど、オススメの数店舗を教えていただきました。



 ・また、尼崎の銭湯15軒あつまって取り組んでいる「尼崎温泉郷」ではスタンプラリーやおもしろい取り組みも幾つかされているそうです。みなさんもぜひ、一度見ていただけたらと思います。
 (http://ama1010.jp/


 稲さんとのトークで、興味深かったのは、「宗教的なことがら」との関わりについての言及があったことでした。
 銭湯とはなにかという話の中で、稲さんから、銭湯と仏教との関わりに言及されました。東大寺での施浴(奈良時代には光明皇后が、平安時代には重源が困窮した人や病人のために、浴室を開放して、入浴を施したそうです)に触れられ、お風呂にはいるということは清潔さを保つともに、それが一種の宗教的な救いにも通じるのではないかという言葉がありました。それで思い出したのが、東日本大震災の折、震災直後の比較的早い段階から、「千人風呂」という大きなお風呂を設置して入浴してもらうというプロジェクトです。「お風呂を設ける」ということが災害現場における支援になったという話でした。日常、何気なく使っているお風呂ですが、それが宗教的な「救済」、現実的な救いとと接点があるという指摘は大変示唆に富んでいると思いました。宗教的な救済が、あらためてそれが日常から離れたところにあるものではないことを「お風呂」という視点から指摘されたような思いでした。

 ※1000人風呂については、以下のようなページもありました。
 ・http://1000furo.com/about.html
 ・https://www.facebook.com/pg/1000furo/about/


 また、もう一つ稲さんとの話のなかで出てきたのが、「社会的な肩書きを下ろせる場所」ということ。
 とても社会的な立場のある方たちの会合で銭湯がつかわれたことがあったそうです。(社長さんとか、組織のトップにいるような人たち)
 最初は、その社会的な肩書きを背負ったような振る舞いで、稲さんいわく「えらそう」にされていたそうなのですが、お風呂に入って、上がってきた後はとてもリラックスして、打ち解けた雰囲気でコミュニケーションが起こっていたというのです。まさに、服を脱いで「裸の付き合い」をした後は、肩書きも下ろして、「立場と立場」ではなく、「人と人」の交流がごくごく自然と起こっていたということでした。 
 社会的な立場、権威から外れて一人の人と人として、フラットに向き合わせる機能があるとすれば、それもまた宗教的なものが果たしてきた役割と通じるものが、お風呂にはあるように思われ、興味深く思いました。

 


 ともかく、お風呂って、銭湯ってという話を展開するはずが、思いも掛けず、仏教・宗教との接点も感じるようなトークタイムとなりました。
 とても刺激で、考えさせてもらえた時間でした。


2017年8月9日水曜日

170709カリー寺(1)オープンから「開催報告法要」・「主催者トーク」

・オープニング
 始まるまでの準備がかなり、ばたばたとしていた。しかし、それでも開催時間はやってくる。
11:00カリー寺 オープン。
 10:30ごろからちらほらと人が集まり始めていて、11:00少し前には、20人くらい、11:00には、30人くらいのひとがあつまった。
 しばらくすると、会場のテントに設けたイス・テーブルの席はほぼ埋まる。

12:00 開催報告法要

昨年オープニングセレモニーとしておこなったものだが、それが混乱の一因にもなったので、 今回は、セレモニーは開催後1時間たって、すこし落ち着いたところからはじめた。それが奏功したのだろう、とても落ち着いた感じで、会場にも混乱は生じなかった。


 勤行は、「三奉請」「表白」「重誓偈」。
 「重誓偈」は、参加者のみなさんと一緒におつとめした。
 読んでくださる方に本をくばるというと、結構積極的に手を挙げて参加して下さる人がいた。
 

 特徴的なのは、しつらえ、お供え。
 本尊前の外陣に、お供えの段を設置して、そこにお仏飯を真ん中にして、この日出店されたカレー屋さんのカレー8品をお供えする。




 お仏飯と一緒にカレーがお供えされるなんて、日本では「カリー寺」くらいのものだろう。(さすがに、お内陣には入れるのは控えているが)香辛料、さらには肉・魚も入っているカレーを仏前に供えるなんて、という人もいるかも知れない。しかし、私はこのしつらえが好きだ。



 その日のイベントで供されるもの、みんなが一緒に口にするものを「仏前」にお供えして、その上で頂くというのは、「食べる」という行為を宗教儀礼が下支えしているように思う。「ただ食べる」、「食らう」というのとは違う意味を、わかりやすく賦与してくれ、また場の共通理解として視覚化されているように感じるからである。



 報告法要のあとに話したのは、つぎのようなことである。

 ・カリー寺に来場して下さってありがとうございます。

 ・こうやってカレーをお供えして、その上でイベントをしている。

 ・お寺でしている、法要をしているという意味を感じる。

 ・みなさんが一緒に食べるお供えは、ただ「食らう」もの「栄養を補給するもの」ではなく、「仏さまからのいただきもの」「お供えのおさがり」を一緒に食べている。「お寺につどった」「同じものを食べた」縁をまた感じていただけたらと思う。

 ・今年のカリー寺は、「友だちの家のカレーパーティに行くような感じで」という雰囲気であればと思っている。その場にいるひとは「友人の友人」で、何らかのつながりがある人、その場に一緒にいることで、コミュニケーションが生まれ、あたらしいつながりとなっていく場であればいいなぁという思いから。そして、参加者は、ただの「サービスの受け手」ではなく、一緒にパーティを作っていく人、場をになう人であって欲しい。「友人の家」に遊びに行くのだから。

 ・スタッフも一生懸命がんばるが、ただのサービスの受け手でなく、一緒に楽しい場所を、心地良い場所を、楽しい一日を作っていきたい。
 
 実際、会場ではその思いが具体的な形になった出来事がいくつもおこっていたようで、あとになってうれしく聞いた。

 法要から、参加者のみなさんが積極的に「参加」してくださっていたのがうれしかった。


 12:15頃から カリー寺主催者のクロストーク
 カリー寺住職・中平了悟と、カリー寺修行僧(発案者)・藤本遼。
 カリー寺が開催された経緯、趣旨、めざしているものなどについて、主催者二人が話をした。

2017年8月8日火曜日

スタバのアンケート付きレシート

待ち合わせの時間にコーヒー(正確にはラテ)飲みながら
作業しようかと、梅田のスタバに入ったところ、

アンケート付きのレシートに当たりました。










アンケートに答えて番号を手に入れると

「トールサイズのドリンクがなんでも無料・トッピングもし放題チケット」

として使えるというものだそうです。










店員さんいわく「滅多に出ないんですけど」と。
割合を聞くと、「300人に1人くらい?」とのこと。
初めての経験。初めて知りました。

ググってところ、
いくつか記事がありました。

【スターバックス】何でも1杯無料「当たりレシート」の全て。
https://matome.naver.jp/odai/2133386255732706201

当たりレシート(ドリンク1杯無料)
https://xn--idk0bn6gt664c.com/sutaba/4620/


2017年8月7日月曜日

2017年8月_これからに予定しているイベント

8月の関わっているイベント(尼崎・一般オープン参加なもの)

 8/5~8/6 尼崎「みんなのサマーセミナー」 @尼崎市立双星高等学校
 (https://www.facebook.com/amasemi/

 8/11(金)「おふろバー」@尼崎市道意町 蓬莱湯さん
 (https://www.facebook.com/events/246427792528901/
 8/19(土)~20(日)「わんぱく テラキャン」、「わんぱくえんにち」
  (https://www.facebook.com/events/169180846960541/

 8/26(土)第12回西正寺寄席
 (https://www.facebook.com/events/323541201427557/
  
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◆ 「おふろバー」について

「みんなのサマーセミナー」(https://www.facebook.com/amasemi/)も無事に終わりました。
 ほっとしたいところですが、今週末には「おふろバー」なるイベントを予定しています。 尼崎の南の方、道意町の蓬莱湯さんを貸し切って、飲食・入浴・おしゃべりするイベントです。
 前回から、「お坊さん」として場に参加しています。
 前回、お坊さんの話が聞けるかとおもってきた、という声がありましたので、今回はすこしお話しする時間をいただくことにしました。5分程度です。 宗教ってなにか、宗教になにを期待しているんだろうかということちょっとふり返るような、投げかけをしたいとおもいます。
 でも、場が「ゆる~く」なので、ゆるーくおしゃべりができたら、それでもいいと思います。

 おふろバー
 2017年8月11日(金) 19:00から、
 蓬莱湯さんです!
 (https://www.facebook.com/events/246427792528901/

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 ◆「わんぱく テラキャン」「わんぱくえんにち」について

【子どもさんがお寺でキャンプ・縁日 やります】
 8/19(土)・20(日)と、小中学生のお子さんがお寺でお泊まりするイベントをします。「きらめきわくわくチャレンジひろば」さん(https://www.facebook.com/kiramekihiroba/)と共催の形で、宿泊行事と、その中での「えんにち」イベントを開催することになりました。
 キャンプは、スタッフと子どもだけで、お寺に一泊します。
 1日目の13:00~15:00に、子どもたちが、お客さんにも、お店屋さんにもなる縁日イベントが開催されます。(大人が店員さんのお店も出店されます)
 こちらは、宿泊されない、一般の方、子どもさんにも来場・参加いただけるイベントですので、ふらっといってみようかな、という形でもお越しいただけたらと思います。

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 ◆ 第12回西正寺寄席 について

年2回恒例で開催させていただいている西正寺寄席。今回は12回目の開催になりました。
日程は、2017年8月26日土曜日の14:30から。
「ハメモノ・part2」をテーマに開催します。
 この「ハメモノ」というテーマ、実は第2回西正寺寄席で実施して、好評をいただきました。「ハメモノ」とは、落語の最中の太鼓や三味線、笛などのお囃子・音楽のことです。上方落語の大きな特徴とされます。
 第2回西正寺寄席の時には、特別に普段は見れない演奏されている様子を、表に出てきて実演してくださったり、はたまた有名落語家さんの登場お囃子等も披露してくださったり、とっても楽しい会になりました。
 今回もいつも同様とても楽しい会になると期待しています。みなさん、8/26の西正寺寄席、どうぞよろしくおねがいします。



2017年8月6日日曜日

サマセミの授業を通して 念珠と手を合わせること


 今日のサマセミでは、「うでわ念珠を作ろう」という授業をさせていただきました。ゴムヒモでプラスチックの玉を通して、ブレスレットのような「念珠」(数珠)を作る授業をしました。赤ちゃん~小学校の子どもさん、そして大人の人も、20名ほどの人が参加して下さいました。
 
 授業の中では(去年もそうだったのですが)「うでわ念珠」を作るだけで精一杯でした。受講してくださった方たちとも約束したので、こちらですこしお話を補足したいと思います。(大人向けの内容になりましたが)

 「お念珠」ってなんですか?といわれたら、それは「手を合わせるための道具(仏具)」です、ということに尽きるのではないかと思います。

 世間では、念珠(数珠)の石に、幸せや願いが叶うことを喧伝したり、特別な力があるということを宣伝されているのを見ます。しかし、そういうセールスは、お商売的な印象があって、まっとうな僧侶がそういうことをハナシの中心にすることはむしろ少ないのではないかと思います。(少なくとも、私は一度もそんな話はしたこともありませんし、否定的に考えています)

 人生は「幸せ」ばかりではなく、さまざまなことが起こります。仏教は、つらいこと、受け入れがたいことが起こりうる人生ですよ、ということを説きます。
 つらい、受け入れがたい中では、人を恨んだり、否定的な思いをもつこともあるのではないかと思います。そうそう「手を合わせること」など、できない、したくない思いを抱えることもあるかもしれません。

 ただ単に両方の手の平・「掌」を合わせること。それは、とても簡単なことのようで、とても難しいことでもあるのではないかと思います。行為としては簡単かもしれませんが、「手を合わせる」心をもつこと、それを忘れないことはとても難しいことのように思います。

 家族や身近な人に対して、憎まれ口を叩いたり、
 人の親切がついつい「余計なこと」「お節介なこと」と思ってしまうこともある自分(私自身)だからこそ、それは「むずかしいことだなぁ」と感じています。

 そんな中で、「手を合わせる道具(仏具)」である「念珠」は、「私が手を合わせるときに使うもの」であると同時に、「手を合わせない私に、手を合わさせるもの」でもあります。
 「念珠があるから手を合わせる」ということもありえるのだと思います。

 「手を合わせる心を忘れないで下さいね」「大事にしたいですね」ということなのですが、今日みなさんと一緒に作った念珠を身につけて下さったり、あるいはふとしたときに目にして、「手を合わせるキッカケ(縁)」になったとしたならば、それはとてもうれしいことだなぁと思います。

「宗教」・「カルト」を扱う講義をするので

今日の龍谷大学文学部で担当している「伝道学特殊講義」(学部3・4回生対象)は、講義で指定しているテキスト 『基礎ゼミ宗教学(第2版)』 。今回は、第9章の「カルト問題」にどう向き合うか?―カルト、偽装勧誘、マインド・コントロール」を扱う予定。  数年前に大阪大学が、大学としてのカ...