尼崎は、全国でも有数の銭湯密集地域でした。最盛期(昭和40年代)には、市内で162もの銭湯がありましたが、現在では37軒にまで減少しているということです。
しかしそれでも、まだ全国的にみて銭湯が多い地域ではあります。
ではなぜ、こんなにも尼崎に銭湯はたくさんあるんでしょうか。稲さんは、そもそもの文化や、高度経済成長期の住環境などが理由としてあったのではないかといいます。
いまでは逆に、その住環境の変化(内風呂の増加等)が、銭湯利用の減少につながり、銭湯の経営が難しくなり、減少の一途を辿ってしまっている現実もあるといいます。
トークでは、そのような苦境の中でも、特徴ある稲さんオススメ銭湯や、尼崎の銭湯のグループとしての取り組みについてもお話を伺いました。
・まだ、薪で火を焚いてお湯を沸かしているという90年の歴史を持つ銭湯
(薪で焚いたお湯、ガスで焚いたお湯、ボイラーで焚いたお湯には違いがあるそうです。すごい!)、
・脱衣所、浴場はもちろんバックヤードからボイラー室まで清掃・整理整頓が行き渡り、サービスも完璧というお風呂屋さんからも尊敬を集める(稲さん曰く)「銭湯 of 銭湯」。
・源泉掛け流しで、「入門者向け」というとても気軽に入りやすい銭湯
などなど、オススメの数店舗を教えていただきました。
・また、尼崎の銭湯15軒あつまって取り組んでいる「尼崎温泉郷」ではスタンプラリーやおもしろい取り組みも幾つかされているそうです。みなさんもぜひ、一度見ていただけたらと思います。
(http://ama1010.jp/)
稲さんとのトークで、興味深かったのは、「宗教的なことがら」との関わりについての言及があったことでした。
銭湯とはなにかという話の中で、稲さんから、銭湯と仏教との関わりに言及されました。東大寺での施浴(奈良時代には光明皇后が、平安時代には重源が困窮した人や病人のために、浴室を開放して、入浴を施したそうです)に触れられ、お風呂にはいるということは清潔さを保つともに、それが一種の宗教的な救いにも通じるのではないかという言葉がありました。それで思い出したのが、東日本大震災の折、震災直後の比較的早い段階から、「千人風呂」という大きなお風呂を設置して入浴してもらうというプロジェクトです。「お風呂を設ける」ということが災害現場における支援になったという話でした。日常、何気なく使っているお風呂ですが、それが宗教的な「救済」、現実的な救いとと接点があるという指摘は大変示唆に富んでいると思いました。宗教的な救済が、あらためてそれが日常から離れたところにあるものではないことを「お風呂」という視点から指摘されたような思いでした。
※1000人風呂については、以下のようなページもありました。
・http://1000furo.com/about.html
・https://www.facebook.com/pg/1000furo/about/
また、もう一つ稲さんとの話のなかで出てきたのが、「社会的な肩書きを下ろせる場所」ということ。
とても社会的な立場のある方たちの会合で銭湯がつかわれたことがあったそうです。(社長さんとか、組織のトップにいるような人たち)
最初は、その社会的な肩書きを背負ったような振る舞いで、稲さんいわく「えらそう」にされていたそうなのですが、お風呂に入って、上がってきた後はとてもリラックスして、打ち解けた雰囲気でコミュニケーションが起こっていたというのです。まさに、服を脱いで「裸の付き合い」をした後は、肩書きも下ろして、「立場と立場」ではなく、「人と人」の交流がごくごく自然と起こっていたということでした。
社会的な立場、権威から外れて一人の人と人として、フラットに向き合わせる機能があるとすれば、それもまた宗教的なものが果たしてきた役割と通じるものが、お風呂にはあるように思われ、興味深く思いました。
ともかく、お風呂って、銭湯ってという話を展開するはずが、思いも掛けず、仏教・宗教との接点も感じるようなトークタイムとなりました。
とても刺激で、考えさせてもらえた時間でした。