12/9(土)「ファシリテーターのあり方に宗教はどう影響しているか?」(感想・その2)
昨日は、週末にあったワークショップについて、流れと備忘録のようなものを書いた。 https://ryogo1977.blogspot.jp/2017/12/171209.html 昨日の投稿は、参加者もあることだし、有料の会の内容について、どう書いたものかとか、そうでなくてもいろいろと焦点を当てたいことがあって、メモ程度の書き連ねになってしまっていた。 さらに一日経って、また当日起こったことが少しずつ消化できたり、まとまりになってきた印象もあるので、忘れないうちに続編も書いておこう。 ■参加者について 講師・運営・参加者、その場にいた人は合計で13名。 それぞれ、ファシリテーションやそれに類する経験があったり、信仰の有無、また仏教、キリスト教、山伏修行など、それなりの多様性がもたらされる場だった。 (「それなり」というのは国籍とか、イスラム教徒の方とか、寄り幅広い多様性があってもよかったなぁという声があったことによります) 仏教では、キリスト教では、山伏ではとか、キリスト教のなかでも○○は、仏教なかでも浄土真宗はとか、なかなか触れることのない知識の提示や、刺激の中からそれぞれのスタンスや共通点が出されていたのは、宗教間対話としての内容もあったように思う。 それぞれ、社会に対して活動するフィールドを持っているからこその場、であったのだろうなぁ。 ■場のしつらえ、場のありかたについて 会の中で、川中さんのお話に「ファシリテーター(ファシリテーション)」のあり方に、 表層的から深層というような三角形のようなイメージで △ 「テクニック」 「スキル」 「プラン・仕掛け・準備」 「ファシリテーターのあり方、根底」 というようなあり方ではないか、という提示があった。 プラン・仕掛けという意味では、 会場を提供したということで、ありがたいことに主催者お二人の当日の準備や打ち合わせからご一緒させていただいて、その一端を見せていただいたような思いもする。 例えば、受付の設置場所、お菓子・湯茶の置き方、参加者の座るシチュエーションや、全体のバランスをみた道具・備品の選択、「場」をどうコーディネートして行くのかといことの配慮から、すでにその日の場の作り方は関わっている。その様子を見ることで、準備の段...