Tシャツが乾くまで コインランドリーという場所
『 Tシャツが乾くまで』( https://www.tbs.co.jp/tshirt_ga_kawakumade_tbs/ )というドラマが最終回だった。全話見た。(ネットフリックスで見ていた)最新話が公開され、視聴するのが楽しみだったので、終わってしまったのが少し寂しい。 https://www.netflix.com/title/82904943 SNSでも、ロス感が多く流れてくる。いろいろなレビューがつづられている。賛否両論あるらしいが、僕は面白かった。楽しかった。そして、とても考えさせられた。 決して文学的な素養があるわけでもなく、云々する資格があるわけでもないけれども、「洗濯/洗濯機」が、モチーフに描かれ、人間関係や心情が投影されている仕掛けになっていることにも非常に考えさせられるような思いがしていた。 このドラマの重要な舞台になるのが、「コインランドリー」だ。そして、人間関係や心情が、「好きな人フィルター」が、自宅の洗濯機の乾燥フィルターと重ねられるように、「洗濯/洗濯機」が登場人物の関係性や、心情と重ねて読み込んでいったときに、ドラマが訴えようとしているメッセージを読み解いていく手掛かりをもらえるような思いがしていた。 ・自宅の洗濯機と、コインランドリーという人間関係 物語の中で、コインランドリーでの「他人」との邂逅が重要なことがらの一つになっている。充と梓、咲子と樹。 お互いにパートナーをもつ、「他人」の二人。ただ、そこで交わされる会話は、家庭で、夫婦間では話せない、ささやかな秘密であったり、ガス抜きになり、人生や生活において必要な時間になっていく。 「いなくてもいい相手」「嫌われてもダメージを受けない相手」だからこそ話せることがある。しかし、それは逆説的にそういう場所や相手がいることによってもたらされるなにか、得られているなにか、支えられている何かがあるということでもある。 自宅にあるそれぞれの洗濯機は、日常を支え、なければ生活が回らなくなってしまう。しかし、月に1度たまに、特別な家ではできない洗濯をコインランドリーでする。家庭の洗濯機ではできないほど、「お店にある大量の洗濯物」を一気に選択することや、タオルやTシャツをふかふかに乾かすことができる。それはある意味で、メンタルのリフレッシュと重なる描写でもあった。 自宅では処理できない感情や...