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【お知らせ】講演会のご案内 お寺の内情・坊守さんの実際とは?

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西正寺(尼崎市上坂部3-36-8)で、兵庫教区阪神東組主催の講演会が開催されます。 詳細は、西正寺のホームページでもご案内しています。  http://saishoji.net/archives/2360  阪神東組主催 第10回 仏教講演会 御講師の「リンゴさん」は、もちろん仮名です。 一般のご家庭から結婚されて、お寺の奥さん(若坊守)になられました。 お寺の奥さん(坊守)としての想いや悩みや課題、あるいはそれらへの対処や活動をもちより共有する場として、2021年にオンラインサロン「お寺マダム」を立ち上げられました。 今回の講演会では、そういった坊守さんたちの実情・活動についてお話いただく予定です。 お寺の内側とは!? お寺の奥さんの生の声とは!? 参加申し込みは、以下のリンクからお願いします。 【参加申し込みフォーム】締め切り 1月18日(日)正午まで https://forms.gle/b1tUfhMdrgtVfC8K7   ※それ以降は、メールでお問い合わせをお願いします。  info【a】saishoji.net 【a】を@に変換して送信してください。  ・「好き」を力に! これからの坊守の姿 【日時】2026年1月27日(火)14時~16時頃 【講師】リンゴさん  【会場】西正寺本堂     (尼崎市上坂部3-36-8) 御講師のリンゴさんは、2021年オンラインサロン「お寺マダム」を立ち上げられました。お寺マダムの活動は、全国のお寺の坊守・若坊守(つまり、お寺の奥さん)たちが、悩みや課題をもちより、相談、情報交換、意見交換を通じて交流を行われています。 そこには、さまざまなお寺の実情や、なやみ、課題や活動のヒントがあるように思います。  また、このお寺マダムの活動は、2冊の書籍となって刊行されています。 ・『お寺のリアル 浄土真宗のお寺の奥さん50人に聞いた』    https://amzn.to/4qD5MHv ・『お寺のリアル2 浄土真宗のお寺の奥さん50人に聞いた』   https://amzn.to/3YL8hvL   お寺の活動、お寺の奥さんの実情についてお話をうかがえる貴重な機会かと思います。ご関心のある方は、ぜひぜひご参加ください。

(1月10日)宗教社会学の会(研究報告会)に出席してきました。

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 午前中、お参りを終えて午後から、相愛大学・南港キャンパスで行われた「宗教社会学の会」の研究報告会に参加しました。  リンク: 宗教社会学の会1月研究報告会 以前にも参加していた記録をこちらに書いています。↓ https://ryogo1977.blogspot.com/2023/10/20231028.html 以下の二つの研究発表がありました。 ◆報告1:藤井麻央(大谷大学)「金光教における教団と信者」 ◆報告2:嵜本圭子(大阪公立大学)「大阪市西淀川区の2つのイスラーム施設における女性・子どもへの支援」  第一の報告は、戦後の金光教における「信徒議員」の出現、その背景として青年会活動・信徒会の結成・活動に注目された研究でした。宗教教団の政治状況(いわゆる宗政)において、信者の宗政への参加に注目される視点は、浄土真宗本願寺派もそのような仕組みが用いられていることから、大変興味深く聞かせていただきました。(報告者も、金光教と浄土真宗本願寺派にそのような体制がとられているという共通点があることを指摘されていました。これは特徴的なもののようです)  ある意味で、宗政の望ましい状況とはどのような形態か、教団運営の「民主的なあり方」とは、というような問いに接続するものであろうと思います。また、そもそも宗教者―信者という関係性が単純な上下関係でいいのかというような問いにもなろうかと思います。  個人的には、浄土真宗本願寺派の宗政関係の方にも聞いていただけたら、そもそもの教団運営・意思決定の体制の在り方について議論をするきっかけにもなるのではないかと一人思いを巡らしたりしました。  第二の報告では、大阪にあるイスラム宗教施設における女性支援・子ども支援の状況について、参与観察に基づいた報告が行われました。  出身国・背景によって女性の位置や考えかたが異なること、それらから場合によってはコンフリクトが生じることなどを、質問の中でも具体的なケースについて議論が深まっていました。  私も質問したのですが、「女性支援」や「女性の活躍」が希求されるというのは、もちろん望ましいことではあるのですが、その中にはある種の日本化・ジャパナイズといった問題も考えられるのではないかという点についても議論がありました。  この会は、宗教学の分野で大変著名な、多くの成果を出されている先生方がた...

(1月7日)お寺の子どもだけれども、初もうでに連れていかれてるという話

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  今週からまた始まった保育園への登園。7日の保育園は、「みんなで初詣に行きます」とご案内がありました。帰ってきた、こどもは、「初詣いってきたよ。◎◎神社に歩いて行った」とご機嫌に報告してくれました。  お察しかもしれませんが、私はなんかモヤモヤとしています。  僕自身を振り返ると、公立の1年制の幼稚園にいっていたせいか、神社への「初詣」なるものは、幼少のころに(そして、思い返してもいままで)経験した記憶がありません。  神社に「お参り」にいったのは、小学校のミニバスで全国大会に行ったときに、スケジュールに「明治神宮への参拝」(多分、勝利祈願)があって、「今、神社におまいりしてるわ」と、なんか思っていた記憶があるくらいです。  まあ、お寺の子どもとして、育った僕は、当たり前のように初詣でや、参拝とは無縁の育ちをしてきまして、今もそれとは異なる信仰文化を選択的に生活しているわけであります。   自分がなににもやもやしているのか、というと、厳密には、子どもが「初詣」に行った(連れていかれた)ことそれ自体より、「神社に初詣に行かない(積極的にいかないという選択をする)という信仰や文化がある」ということに対する配慮というか、私たちような人がいるということについては、たぶん想像されていないんだろうなぁということなのです。   誤解のないように、言っておきますと「自分たちがこうだから、初詣をいかないようにしてください」と、保育園の行事や予定の変更をお願いするようなことまでは求めたいとは思っていなくて、むしろ、そういう文化に触れる機会があってもいいだろうなぁくらいは思っているのです。  なににもやもやしているかというと、繰り返しになりますが、「初詣」を明確に、信仰のともなう宗教的行為と認識して、積極的に「行かない」という選択をしている私たちのような人たちの存在は、おそらく想像の外側にあるのだろう、という現状にもやもやとしているのです。  別に怒ったり、疑義を呈したり、なにか現状変更をもとめたりしているわけではなく、ただ、モヤモヤとしている部分があるというだけです。  子どもが楽しそうに、「初詣いってきたよ」という報告はうれしくききましたし、その子どもが参拝した神社の宮司さんともめんしきがあり、とてもよい方であると存知上げていますということも付言しておきます。

1月6日は、仕事はじめと、南條了瑛さんから『浄土真宗における伝道の歴史的展開―近世関東地域の親鸞伝承を中心に』をご恵贈いただく

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 1月6日(火) この日から、お寺は月参りを再開。妻も出勤、子どもも保育園へ登園。大学も授業再開。ということで、子どもを保育園へ送り、お参り(月参りと法事)をお勤めした後、あわあわと大学へ移動。 年末年始はお寺で諸行事がありながらも、リフレッシュすることができたからか、大学ではたまったお仕事を集中して片付けていくことができました。 大学の方に、郵便で届けられていたのが以下のご著書。 南條了瑛『浄土真宗における伝道の歴史的展開―近世関東地域の親鸞伝承を中心に』を、著者ご本人からご恵贈いただきました。 博士論文をもとに出版されたご著書です。 南條さんは、龍谷大学大学院実践真宗学研究科の修了生で、その後、同大学院文学研究科博士課程真宗学専攻へ進まれ、博士論文を執筆されました。 学部生のころには、非常勤講師として担当していた講義を受講してくださっていたのですが、博士論文を出されるまでの成果を上げられました。 (私は、博士論文を出せていません) 本書は、博士論文をもとにされながらも、文体はですます調に改められ、読みやすい形にされているようです。 また拝読して、勉強させていただきたいと思います。

(1月5日)2026年初法座 「心のよりどころ」ということ

1月5日は、毎年「初法座」としてお勤めをしています。 今年も15名ほどのみなさんがお参りください、初法座をお勤めしました。 この年末年始と初法座で、お話しさせていただいたことの一つは、 「手を合わせる場を持つということ」について、とでもいうようなことでした。  昨年は、いくつかのいわゆる「仏壇じまい」「墓じまい」のお勤めをさせていただくことがありました。これまで「手を合わせ」、「お参り」をされてきた場がしまわれていく、閉じられていく流れがあります。さまざまな状況の中で、それは致し方ないことではあります。しかし、そういう場が閉じられていく、しまわれていく局面に立ち会って、あらためて、お参りをする場が、「心のよりどころ」であったということを感じずにはいられないことがたびたびありました。  思えば、お仏壇やお墓に、どんなときに身を置き、手を合わせられるでしょうか。  もちろん、年中の決まった季節や、日常でお参りを大切にされているということもあるでしょう。しかし、それとともに、改めてそういった仏さまの前、お参りの場に身を置こうと思われるときのなかには、心が動揺しているとき、自分一人では受け止めきれないことが起こったとき、ということもあるように思うのです。  自分一人では受け止めきれないことがおこったとき、身を置く場、こころのよりどころが、お仏壇の前であり、ご本尊・仏さまの前であるとするならば、それらを手放していくようなあり方は、言い方を変えると、「人生で起こる出来事を自分一人の裁量で処理していく、受け止めていく」ような心持ちが求められるというようなことではないかと思うのです。  そして、それは、多くの人にとって(もちろん私にとっても)とても困難なことを求められるようなことでもあります。  しばしば「仏壇じまい」について、子どもやあとの人に「面倒をかけたくない」といわれることがありますが、お仏壇に手を合わせることは、面倒なこと、手間がかかることのように見えるかもしれませんが、実は、お仏壇をお世話している・負担を負っているのとは違う面があるのではないかと思うのです。お仏壇という手を合わせる場をもっている、家庭のなかにあるということは、受け入れがたいことがあったとき、心穏やかで亡くなった時に身を置く場があるということであり、それは、我々の方が「支えられる場」を持っているということ...

おやつのお坊さんから、『おやつのお坊さん』をお年玉のように頂戴したというお話

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おてらおやつクラブ( https://otera-oyatsu.club/ )の 松島靖郎ご住職から、ご著書 『おやつのおぼうさん ― おすそわけで子どもたちを笑顔に―』 ( https://amzn.to/4pn5DXS )をご恵贈いただきました。  早速に拝読したいと思います。  松島さんがSNSで挙げられていた「ゆうかい事件」のくだり、とても気になったので早速拝見しましたが、驚きのできごとでした。(笑)    おてらおやつクラブ( https://otera-oyatsu.club/ )は、松島靖朗ご住職が、大阪であった母子が餓死されるという事件をきっかけに、お寺のおそなえもののおやつを、経済的に困窮されている母子家庭を中心に支援団体を通じて届けるという活動からはじめられたものです。  いまでは、全国の寺院2300か寺以上にひろがっています。  詳細は、こちらから  https://otera-oyatsu.club/about/  

(1月3日)おもちゃ王国

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 元旦の子どもの発熱で徳島への妻の実家への里帰りがキャンセルになったので、ほぼ休日のような予定。午前中、すこしお寺で作業をして、昼前から外出することに。    神戸のフルーツフラワーパークと、アウトレットに行こうと車で移動していたが、高速出口の大渋滞にひるんでしまう。列にならぶのがあまり好きではない。  車内で妻の提案で急遽、目的地を「東条湖おもちゃ王国」に。  すこし遠回りになったが、12時に到着。    おそらく子どもが2歳の時に来て、2回目の訪問。  以前より、乗り物も、おもちゃも十分に楽しめるようになって、「めっちゃたのしかったなぁ」とのたまい、充実。  「もっと遊びたかった」「夜もあそびたかった」と名残惜しそうに、親をお困らせ、ちょっとだけぐずりながら、しぶしぶとお別れ。  帰り道は、2日連続になる「つかしん」。  お正月営業のお風呂はめちゃ込みだった。  

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