2006年3月28日火曜日

衣食住と、人の退化

永代経法要で、「いのししや熊にも、衣食住の問題があるのだ」とご講師の先生。



控え室で、意地悪な質問をしてみた。

「食と住の問題は、わかりますが、いのししの<衣>の問題ってなんですか?」と。



そしたら、

「毛皮のはえかわりがあるじゃないか」と。

正直、心底納得というまではいかない。けれど、先生が続けられたのが、

人は、けもののように、自分で毛が生え変わったりして、季節や気温に対応することができなくなってしまっている。その代わり、服などを着て体温などを調節するほかなくなったのだ、そういう意味では、動物に比べて、人間は劣っているのだと。





 そうそう、人間は劣っていっている。劣化している。退化して言っているといってもいいかもしれない。

 これは、僕もときどき考えることだ。そして、実感することだ。



 たとえば、車。

 街中に走る車が増えて、女性もお年寄りも運転している。

 それは、おそらく、科学技術の発展のおかげで、「人間の進化」という人がいるかもしれない。

 しかし、本質的に人間の能力はなんら変わっていないと思う。

 車が運転できるようになったといっても、それは平均的に運転技術や人間の能力がUPしたわけではないんだ。

 オートマやパワステが普及して、「車の方が人間に運転されやすいように変わってきた」んだ。



 だから、僕は自分が車を運転しているのも、まわりに車が増えているのも、基本的には、自分が進歩したのではなくて、車が進化して、人間にあわしているのだと思っている。





 人間がなくしてしまった能力もある。 

 本で読んだ話だけれど、昔、漁師さんなんかは、海を見て、奥さんの出産が今日あるかどうかということもわかったらしい。

 潮目を見て、「ああ、この海の様子じゃ、うちのかみさん、まだ産まれねぇな」と。

 天気予報に頼らず、肌に触れる空気と空の様子で、気象の変化も読み取れたり。





 そう、僕たちはどんどんと、本来培ってきた、人が備えていた能力を失っている。





 そんな風に思えてしかたないのだ。

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