法務の中で

本日のお参り。とあるおうちで。

そのおうちのおばあさんの話。





  わたしらが小学校の時、若いお嫁さんがきたときに、うちのおじいさんがゆっとった。



��おじいさん)”生活する中で一番大事なことは何かゆってみ”

��若い嫁さん)”・・・・”

��おじいさん)”ちがう。一番大事なことは、朝起きて仏さんにおてを合わせることや。それから一日がはじまらなあかん”



 こんなことをゆっとった。

 ほんで、おじいさんがお参りする後ろにおったら、おじいさん、お参り終ったあとに「ありがとうございます」って仏さんにゆってはった。

 何してるんかなぁとおもとったけれど、お寺でお話聞かしてもらううちに、ああ、おじいさんまちがったことしてへんかったんやなぁって、思うようになった



 昔は、なんでお参りすんのかわからんまんま、つれていかれとったけれど、今になって、ありがたいことやなぁって。

 でも、後のもんに伝わってないのが・・・・。





 そんな話でした。

 特に、おじいさんが「ちがう。一番大事なことは、朝起きて仏さんに手を合わせることや。それから一日がはじまらなあかん」云っていたというところには、ガツンとくらった感じ。



 僕らが一生懸命説こうとしている理屈とか法義とかというものも、そのおじいさんの一言には太刀打ちできないと感じる。

 それは、「ことばで教えとは」と一生懸命語っても、「教えの如く生きている」「信を生き様として示している」ものの前に出たときには、その偽瞞性というか、うすっぺらさが知らされてしまうような。そんな感覚。





 一番大事なことは朝起きて仏さんに手を合わせること。







あぁ。ごめんなさい

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