今日は、「品のある話し方」がテーマのHow to本を読んだ。
ハウトゥ本は、ときどき劇的に変化が起こせるノウハウが書いてあったりするけれど、大体の場合は、すでに知っていることや、漠然と感じていたことがらが書かれているものがほとんど。そして、今回の本は、完全に後者。
元来あまりハウトゥ本というものは好きではなかったのだけれど、仕事を始めて、時間が制約されている中で効率化を進めようとしたり、あるいは話し方や、整理などのスキルを身につけようという意識があるときには、なぜか手が伸びてしまう。そして、今回も、そのパターン。ま、ちゃんと話せねばならぬな。と。
やはりそこに書かれていたことは、ほとんどの場合、9割以上がすでに既知の内容。
けれども、それでよいのかもしれない考える。
それを読むことによって再確認し、あるいは漠然と考えていたことが言語化されることによって、自分の生活行動や理念が見直され反省させられる(効能1)、すでに知っていることでも再度確認し、言語化されることによってその内容が身体化されていく契機となる(効能2)。
それからするなら、むしろ新しくなにかを知ることよりも、自身の中にある既知の内容を再確認させられるということがハウトゥ本の効能なのかなどと思った。
また、古典・仏典を学ぶ場合にも似ているななどと考える。
古典や仏典は、「読み返されるもの」としてある。だから、そこにあるものはほとんどの場合、既知。(研究の場合は、またちがうこともあるけれど)
毎朝、勤行として読誦し、(同じことばかり説いていると批判されても)法話を聞くことは、それにあたる。
その繰り返しで(「新しい発見」をすることもあるけれど、それよりも)徐々にその内容と教えを「身体化」していっているのだろう。
だから古典は暗唱できるようになるまで読み返し、暗唱できるようになっても読み返しすることが求められる。
[付け加え]ハウトゥ本と、仏典・古典の違い。ぱっと思いつくものは、価値観の源。ハウトゥ本は、自身の役に立つため、ビジネススキルなどを身につけて最終的には読者のニーズに合う形で提示されてこなければならない。読者がもとめるものが結論にはその要求に合う形で提示されていなければならない。
話し方を求めているひとに、「話し方なんかよりももっと大事なことがある!」話し方なんか教えません!、ではだれも買わないし、価値を認めないだろう。
仏典・古典は逆。仏典・古典に価値観が提示されていて、その価値観に読む者がすりよっていかなければならない。
だから、ビジネススキルを説くハウトゥ本を読んでいると、やはり「思想」がないことが、引っかかり、薄っぺらい本だなぁなどという印象を抱くことが少なくない。結局のところ、メリットに成るかならないか、それだけが、ハウトゥ本の目的だから。
2007年9月27日木曜日
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↑こう書けばわかるかな。アベです。おひさ。
返信削除今日、PCの「お気に入り」の整理してたら、
ココを見つけたので、足跡を残しておきます。
オレもブログやってるので、
暇があったら、チョット覗いてやって下さい。
http://navy.ap.teacup.com/bandiera/
でわでわ。
書き込み御礼。
返信削除お返事は、そちらのサイトにて。