自坊の報恩講法要。
先輩であり、職場の上司でもあり、いろいろとご縁の深い西先生にお取り次ぎ(ご法話)いただいた。「報恩」ということと、親鸞聖人晩年の息子・善鸞さんとの義絶(親子の縁を切った出来事)について、お話をいただいた。
お聴聞しながら、思いだしたこと、思っていたこと、考えていたこと。
恩ということについて。
ある人が、「恩とは返すものではない。想うもの、嚙みしめるものだ」といわれていたのを思い出した。「返したからチャラ」という程度のものは、本当に「恩」というべきほどのものだろうか。返しても返しきれないほどのものを恩としてうけているのではないだろうか。
そもそも、僕たちは、どれほどの「恩」を受けて今ここにあるのかということを、すべて数え上げ、知り尽くすことができるのだろうか。(もちろんできないという意味だ)
恩とは、見えないものだ。ふとしたときに、自分にどれほどの思いが向けられていたのかを知る。どれほどの配慮の中で、ふるまいをつづけていたのかを知る。その瞬間、瞬間に知ることができず、あとから恩恵を受けていた、受け続けていたのだと知る。ということは、いまもなお、見えない、知っていない恩恵を受けている可能性があるのではないか、いや、確信的に、「受けているに違いない」といってもいいだろう。
仏教を、特に真宗を考えていくと言うことは、「見えないものを見る眼を得ていくこと」ともいえるのではないかとも思う。「見えないもの」とは、オカルト的なものではなく、目に見えない、「恩」とか「願い」をどれだけ自分が受けているかということに気づかされていくことではないかと思う。
もうすこし言葉を重ねれば、知り尽くすことのできないなにかに、わずかばかり気づき、気づいたものよりも圧倒的に多くの気づき得ないものの存在を知らされていく、そんなことではないかと思う。
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