試験やレポートの採点や評価がひと段落しました。講義で扱ったテーマや問題、レポートで設定した問題に向き合ってくれているレポートを読ませてもらうことで、僕もいろいろと考え、振り返ることができます。
一方で、このようなことも考えました。
レポート課題や、論述試験を通して成績評価をしているけれども、実はこの講義で扱った問題への向き合いということだけではなく、受講生さんの(担当している講義が直接関与したのではない、それ以前に獲得されている)ライティング能力や、国語力に依存している部分があるのではないか。
そして、それは結構な部分を占めてしまっているのではないか、ということです。
レポートや論述を通して評価をするということは、そのアウトプットする能力が、評価に際して底上げ(ボトムアップ)や、頭打ち(ボトルネック)的に働いてしまっているのではないかと思わざるを得ないケースに直面しています。
要は、文章力・国語力は大事、といってしまえばそれまでなのですが、いろいろと考えてしまっているこのごろです。
大学のライティングサポート等もそういう意味でも非常に大事なことだと思います。あるいは、小中学校の基礎教育でも、そういうことをもっともっと大事にしなければいけないなぁと思ったりしました。
そんなことを、朝ふと妻に話すと、福祉的な界隈ではたらいている彼女からは、学習障害の、文章を書くことができないというハンディを抱えた方はどうしたらいいのだとか、どんなふうにしているのかとか、というようなフィードバックをもらい、「書く」ということについて、あれこれ頭を巡らせた朝でした。
みなさまは、どう思われるでしょうか。
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