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婚姻届けの提出が多いらしい 3月5日

 SNSに、ある自治体の公式なコメントとして、3月5日は婚姻届けの提出が大変混雑すると予想されています云々という投稿。 ◎  西宮市HPの「市民課窓口の混雑状況について」 いったいどういうことだろうとネット検索してみると、単純に年度末(引っ越しや、もろもろの変化が生じやすい時期)というだけではなくて、どうも以下のようなことらしい。 ◎ FNNプライムオンライン  「きょう3月5日は“最強開運日”で役所は婚姻届「窓口混雑」注意呼びかけも 天赦日・一粒万倍日・寅の日・大安重なる「四重吉日」 」 https://www.fnn.jp/articles/-/1010574 ◎ 朝日新聞 「「5日は窓口が大変混雑します」最強開運日で兵庫・西宮市が呼びかけ」 https://www.asahi.com/articles/ASV344FDNV34PIHB00PM.html これは、いろいろと考えさせられることでもある。 一つには、現代社会で、「宗教的なもの」がもつ影響力が、具体的にこういう形で表れているという一例だといえる。 また、浄土真宗(真宗)という、信仰や文化のなかに生きている自分にとっては、すこし「違和感」というか、「異文化」というか、異質性を感じる対象でもある。浄土真宗は、「日を選ばない」教え/信仰でもあって、「大安」とか「仏滅」等の六曜や、その他の日のよしあしとういことは、ほぼ気にしない。 (浄土真宗のお坊さんが、ときどき、お葬式に「友引」ということを言及するのは、 「日の良し悪し」ではなくて、単純に「友引はお葬式が少なくなる影響から、火葬場がお休みになるのでお葬式が入る可能性がほぼない/できない」という、現実的な理由である場合がほとんどである) 逆に、多くの人が意識している「大安」とか、「なんとか万倍日」とか、なんだかんだということは、ある種の文化・信仰の一種(しかも、日本文化全体で必ずしも共有されているわけではない、限定的なもの)であって、決して絶対的な「何か」があるわけではないということも、知ってもらえたらとも思うのである。 ※ しばしば、こういったことが、「絶対的」、「みんなそうだ」と思われがちだが、決してそういうわけではない。 まあ、いろいろと思うことはあるのだけれど、こういうことがあるのだなと興味深くおもったので、記録もかねて書き残してく。

エジプトのキリスト教の教会にいってきました。

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エジプトのキリスト教の教会にいってきました。  先週、17日に神戸のベトナムの仏教寺院にご案内くださった、宗教学者のM先生が、木津川にあるエジプトのコプト正教会の教会がオープンディを開催するので、来ませんか?とお声がけくださったので、またまたお言葉に甘えて家族で参加してきました。 ↓ 先日のベトナム寺院の訪問の記事はこちら https://ryogo1977.blogspot.com/2026/02/blog-post_7.html    お参りを終えて、お昼過ぎから車で移動。高速道路を利用して、1時間ほどの道のりでした。到着したのは、木津川にある、聖母マリア・聖マルコ・コプト正教会。  すでにイベントは開催中で、お参りの時間から参加させていただきました。  エジプト人の教会の信者さんたちがホスト役として、お迎えや教会、エジプトの文化等について紹介など、いろいろなお役をされていました。  入ると讃美歌の生歌唱。うたわれている方が作曲され、アニメソングやポップスのような軽やかで、ある意味で親しみやすい、けれども「主を讃えよ」とか、「神は全能」といったよう賛美が歌詞の歌。  時間をとってお話しされていたのは、京都の大学の博士課程に在学中の男性。  エジプトの文化、コプト正教会のこと、キリスト教のことをレクチャーしてくださった。  終わりに、クイズのような仕掛けがあって、聞いたことを遊びながら確認する時間も。これらのプログラムは、信者さんたちが主体的に企画されて、運営されている様子。司祭さまは、後ろの方で、あたたかく見守られていた。   レクチャーのスライド。コプト文字という、エジプトのアルファベットだそうだ。 コプトというのは聞き慣れないけれど、「エジプト」と語源を一にする言葉らしい。 最後に司祭さまからのご挨拶。  お参りと、レクチャー・質疑応答の後は、3階のホールで、スイーツを食べながらの交流タイム。 いただいたのは、お米を甘く炊いて、ドライフルーツやシリアルのようなものがかかったお菓子。なかなかおいしかった。  息子(4歳)も異文化体験。  会場にはたくさん子どもたちもいて、イベントの時間中に楽しく遊んだり、動画を見たりしていた。  こんな風に同じくらいの子どもたちがあつまって団子状態に。  なにをしているかというと、スマホで動画を見てる様子。。。。いまどきである...

【情報共有】公開講演会_現代における宗教の役割研究会について

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『中外日報』紙面の記事で、以下の研究会が開催されることを知りました。 当日は、東京に出張する予定があるのですが、移動のタイミングでもあり、オンラインで視聴しようかと思っています。 以下、コルモスのホームページ( https://cormos.org/symposium )より転載 公開講演会 テーマ 分断と排除に向き合って 日時:2026(令和8)年 3月11日(金) 13時より 挨拶・趣旨説明:島薗進氏(コルモス研究会会長) 講演:菊地 功 氏(カトリック東京大司教区大司教 枢機卿)     「排除と分断の世界で宗教の生み出す希望」    吉水 岳彦 氏 (浄土宗光照院 住職)     「苦の現場における相互恭敬と報恩支縁-共済世界の現成を願って-」 コメンテーター 篠田 英朗 氏(東京外国語大学教授) 司会 小原克博氏(同志社大学学長) 会場  同志社大学 烏丸キャンパス 志高館 SK112教室 総合テーマ「分断と排除に向き合って」 今年のテーマは「分断と排除に向き合って」ということになりました。トランプ大統領の就任によって、米国ではいわば分断と排除の嵐が吹き荒れている。アメリカ・ファーストというスローガンは、すでに外国人の排除や抑圧をもたらしており、その影響がさらに強まるのではないかと危惧されている。不法滞在している移民を排除することから、新たな移民が増えることを防ぎ、留学生なども学業継続が難しくなるなどの事態が生じている。欧米諸国では、移民排斥を主張する右翼政党が勢力を伸ばし、政権についたり、有力政党になる傾向がすでにいくつもの国で生じている。日本でも排外的な主張を持つ政党が選挙で大きく得票を伸ばす事態が注目され、地域で移民・難民集団の排除を訴える集団も目立つようになっている。 しかし、分断と排除の動きはもう少し長いタイムスパンで見ていく必要がある。かつては地中海沿岸から中東に至る地域で共存してきたイスラム教徒とユダヤ人が分断されていくのは、イスラエルの建国が大きな要因になっているが、パレスチナの広範な地域からのイスラム教徒とアラブ人の排除は、二十一世紀に入ってますます強まり、二〇二〇年代にはガザにおける民族浄化を疑われるような事態に至っている。バルカン半島で東方キリスト教、西方キリスト教、イスラームの勢力圏の分断が強まったのは、冷戦終結後の一九九〇年代だが...

ベトナムのお寺のテト法要(旧正月)に参加しました【後半】

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 【前半  https://ryogo1977.blogspot.com/2026/02/blog-post_7.html   からの続き】  10時30分ごろから法要がはじまりました。  ご住職と僧侶の入堂の際には、みなさんたちあがってお迎えをして、入堂後は、通られる道がそのまま参拝者の着座スペースになります。逆に言えば、「道を開けなければいけないくらいぎっしりお参りの人で埋め尽くされる」というような状況でした。(すごいなぁ) (お勤めのあとの、法話の時間) 45分か、60分弱のおつとめのあと、ご住職と、僧侶お二方の御法話。 お勤めも、お話もベトナム語でした。 お勤めは、すわって聞かせていただくだけでしたが、法話は、持っていたスマホで、AIに翻訳を指示してみると、全体をつかめる感じでうまくお話を翻訳してくれたので、どんなお話がされていたのかというのは、理解することができたと思います。(AIがどれほど厳密に翻訳してくれたのかを確かめるすべはなかったので、推測にすぎませんが、なかなかの精度であったようにおもいます)  お参りのあと、ご住職が「お年玉」として、お米と塩をみなさんに挙げられていました。  私も息子も、ありがたくいただきました。  お参りの皆さんも、にこにことうれしそうです。日本のお寺のお参りとはまた違った雰囲気がひろがっていました。  若い皆さんがおおかったのですが、お経の一部は、大きな声で暗唱される人がおおかったので、よく知られた、よくお勤めされているお経なのだろうと思いました。 法要のあとは、一階の広間で、順次ふるまいのお食事をいただきました。 食堂の雰囲気と、いただいたお食事は以下の写真の通りです。  席が足りないので、入れ代わり、立ち代わりで、席についてお食事をいただいていました。  軽く100人は超えていたように思います。。。 いただいたお食事はこちら。 香草の効いたあたたかいスープに、ビーフンの麺。お精進なので、肉に模したたべものも本物のお肉ではなく植物性のものだそうです。 緑色のものは、甘さが加わったモチ米で、上にアーモンドが載っていました。あまいお餅みたいな味でした。 右の赤いものは、柑橘系のフルーツ。グレープフルーツみたいな感じでしょうか。 お食事のあと、まだまだたくさんお参りのみなさんがいらっしゃいましたが、ご住職が私たちと時間...

ベトナムのお寺のテト法要(旧正月)に参加しました【前半】

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2月17日、宗教学者のM先生にお声がけをいただいて、神戸の下町にあるベトナム寺院のテト法要(旧正月の行事)にお参りさせていただいてきました。  こちらの写真は、法要のあと、帰りがけにご住職と一緒にとらせていただいた写真。  左から、s大学の学生さん、西正寺スタッフのあまさきさん、ご住職、M先生、うちの息子(4歳)と私。(私以外はモザイクをかけています)    当日の動きはというと・・・  前日息子に行く?と聞いてみると「行く!」という。貴重な機会でもあるし、子どもにも国際交流や、異文化体験をしてもらおうと、保育園はお休みして、朝から電車で神戸に向かいました。    (ラッシュをひと段落した時間帯だからか、神戸までの電車はとても空いていました)  息子は、「さいしょれっしゃ」(先頭車両)の特等席が、最初に乗った電車も、乗り換えた電車も確保できてご満足。  三宮で、M先生、ほかのみなさんと合流。地下鉄に乗り換えて目的地へ。  地下鉄の駅から、徒歩数分。住宅と住宅の間を通りながら、進むと、目的のベトナム寺院につきました。   到着後、M先生の案内に導かれるまま、ご住職と2名の僧侶の方とテーブルをはさんでお話をさせていただき、法要の時間まで過ごしました。 お寺はすでに大混雑。移動にも人と人をかき分けて進む感じ。    法要の時間が近づくと、二階の本堂へ。    ご本尊の光背は、電気でピカピカ光り輝いていました。  (勤行のお経のリズムと同じようなリズムでピカピカとしていたような気がしたので、それも趣きをかんじました)  真ん中のご本尊が、釈迦牟尼佛、前の緑色のお衣の7体は薬師如来が7体安置されているそうです。  向かって右には観音菩薩、向かって左には地蔵菩薩がご安置されていました。    開始前から、大勢の若い人たちが左右に分かれて座られていて、次から次へとお参りの人が入ってこられるので、そのたびに「詰めて詰めて」というあんばい。  10時30分ごろから法要がはじまりました。 (続きは後半へ) ベトナムのお寺のテト法要(旧正月)に参加しました【後半】 https://ryogo1977.blogspot.com/2026/02/blog-post_13.html

テト法要の時の息子 4歳の様子

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   住職の息子として、ちゃんとしているからか、おまいりのときにはちゃんと手を合わせてお参りしてくれました。 香草もいやがらずに、麺をすすり  いただいたお菓子を開いてたべながら、大人たちの話を聞いていました。

「弟子って、いてるんですか?」

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 「弟子って、いてるんですか?」  先日の葬儀のお勤めを終えた後(還骨・初七日まで終わった後)、本堂で、お参りのご親族、おそらく20代前半の若い男性からかけられた言葉だ。  「弟子はいてないですね。子どもはいるけど。どうして?」 と聞き返すと、 「いや、すごいお仕事だなって。尊敬します」って思ってもみない言葉を返してもらった。  その言葉を聞いて、グッと感情がこみあげてくるとともに、安心感もこみあげてきた。  このことは、覚えておこう。多分忘れられないな、と思った。その彼には、そういってもらえるとうれしい。ありがとうと、感謝の言葉を返した。  最初にお参りをした枕経から3日間。そのご家族とご一緒にお送りのお勤め・ご葬儀をお勤めした。亡くなられたのは、10代の女性。ご家族の悲しみの様子は、簡単に言葉にすることはできなかった。  冒頭の言葉をかけてくれた彼は、ご葬儀で声を上げて号泣していた。一番悲しみを表に出していた彼から、思いもかけない言葉がかけられた。もらった言葉のおかげで、僧侶としてお葬式をする意味を教えてもらえたような気がする。  自分といえば、枕経の時は、しぼりだすようにお話をし、ご家族から語られることばになんとかかんとか、応答するのがやっとだった。お通夜やご葬儀のお勤めは、基本的にはいつもと同じように、でも、できるかぎりその場に立ち込めているお参りのみなさんの感情に添えるように、その場や避けたくなるものから逃げないように、向き合うようには努めていたつもりだ。   僧侶にできることは、ただお勤めをすること、お話(法話)をすること、(もちろん、それらを行うときの所作や姿勢も大事だと心がけている)また、その合間合間に、言葉を交わしたりといったご家族とのコミュニケーションに努めたということもあるかもしれない。  でも、もっと根本的なところは、(僧侶である)私が「それらをした/なにかをした」というより、そういう「僧侶としての務め」を果たすことで、意味や感情が動かれるものがあったのではないかと思う。それは、私が新しく「特別な何かをした」というよりも、すでに、社会や遺族の側に共有されていた、僧侶として葬儀で果たすべき「期待された務めを果たせた」ということにすぎないのではないかとも思う。  彼は「弟子っていてるんですか?」と聞いてくれたけれども、そのすごさは、自分個...

自由と束縛/ブレイクスルーが起こるには

 もし、あなたが科学的創造性を最大化させたいならば、図抜けた頭脳を探し出し、その頭のなかにあるアイデアを追求するのに必要な資源を与え、それからしばらく放っておく、というのが常識の命ずるところだ。大方、たぶん、なにも成果があがらないだろう。だが、一つか二つ、なにかまったく予想されなかった発見があがるということもある。もし、あなたが予期せざるブレイクスルーの可能性をほとんど壊滅させたい[最小化させたい]と望むなら、このおなじ人間たちに、次のようにいえばよい。たがいに競争しながら、きみたちが達成するであろう発見あることを、わたしに説得したまえ。そのための時間をおしむな、さもなくば資金の獲得は望めまい、と。およそこれがいまのシステムである。 デヴィット・グレーバー著、酒井隆史訳『官僚制のユートピア―テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則』、以文社、二〇一七年。一九四頁。 (※福井一喜『無理しない観光』、ミネルヴァ書房、二〇二二年、二一八頁より孫引き)

ばたばたとしはじめた1月

 年初は順調にブログを更新していたが、やはり日常が回り始めるとなか手が回らなくなる。 10日以降の主なスケジュールを振り返っておくと 11日(日)毎年ご縁をいただいている寝屋川のお寺の法要に出講。午前、午後の2座勤まる。      夕刻には、義父母・義兄が徳島から来られていて、妻子と一緒に夕食へ。 12日(月)お参りのあと、さきに出かけていた義父母・義兄・妻子と神戸で合流。みなとやま水族館や、ハーバーランドで遊んで、夜に長距離バスに乗られたのを見送る。子供の楽しかったみたい。 13日(火)大学の講義 14日(水)お参りのあと整体に。 15日(木)大学の講義。修士論文の提出期日。全員提出。K先生と院生2~3年生とひとまず提出の振り返りと懇親会。 16日(金)夜にサマセミの実行委員会。熱い会議だった。 17日(土)西正寺の「はすの会」で報恩講法要。御講師は、友人でもある塚本一真氏。 http://saishoji.net/archives/2379 18日(日)は、お参り、法事でそれなりに忙しく。 19日(月)こどもと二人で和歌山へ行く。恩師のお寺にお参り等。たのしかったので、また振り返りたい。 20日(火)お参りのあと、大学で修論の査読やレポートの採点などを進める。夜は「真宗学運営協議会」の反省会。終わった後も、修士論文の査読等。 21日(水)本願寺派の「布教使課程合同法話会」。伝道院、中央仏教学院、龍大の実践真宗学研究科の「布教使課程」を受講している人や伝道院OB・OGが一堂に会しての合同の法話会という研鑽と交流の場。 22日(木)京都に仏壇じまいの依頼(成年後見をされている弁護士さんを通じたご相談)のため、京都へ。伝道院へたちより、Wさんの講義を少し聞き、大学の研究室へ。修士論文の査読と、レポートの採点等。 23日(金)お参りと事務作業の日。歯医者へいった。 25日(日)おまいりのあと、お寺でのんびりすごす日 26日(月)昼過ぎから大学へ。事務手続きや、成績評価の作業をすすめる。 27日(火)西正寺で阪神東組の仏教講演会。 28日(水)お参りのあと、午後はずっと伝道院での講義(13:30~16:30)  →これが今日。 こんな毎日でも、そこそこ6:30から公園でラジオ体操と散歩、お習字の稽古は、ほぼほぼ継続できている。

【お知らせ】講演会のご案内 お寺の内情・坊守さんの実際とは?

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西正寺(尼崎市上坂部3-36-8)で、兵庫教区阪神東組主催の講演会が開催されます。 詳細は、西正寺のホームページでもご案内しています。  http://saishoji.net/archives/2360  阪神東組主催 第10回 仏教講演会 御講師の「リンゴさん」は、もちろん仮名です。 一般のご家庭から結婚されて、お寺の奥さん(若坊守)になられました。 お寺の奥さん(坊守)としての想いや悩みや課題、あるいはそれらへの対処や活動をもちより共有する場として、2021年にオンラインサロン「お寺マダム」を立ち上げられました。 今回の講演会では、そういった坊守さんたちの実情・活動についてお話いただく予定です。 お寺の内側とは!? お寺の奥さんの生の声とは!? 参加申し込みは、以下のリンクからお願いします。 【参加申し込みフォーム】締め切り 1月18日(日)正午まで https://forms.gle/b1tUfhMdrgtVfC8K7   ※それ以降は、メールでお問い合わせをお願いします。  info【a】saishoji.net 【a】を@に変換して送信してください。  ・「好き」を力に! これからの坊守の姿 【日時】2026年1月27日(火)14時~16時頃 【講師】リンゴさん  【会場】西正寺本堂     (尼崎市上坂部3-36-8) 御講師のリンゴさんは、2021年オンラインサロン「お寺マダム」を立ち上げられました。お寺マダムの活動は、全国のお寺の坊守・若坊守(つまり、お寺の奥さん)たちが、悩みや課題をもちより、相談、情報交換、意見交換を通じて交流を行われています。 そこには、さまざまなお寺の実情や、なやみ、課題や活動のヒントがあるように思います。  また、このお寺マダムの活動は、2冊の書籍となって刊行されています。 ・『お寺のリアル 浄土真宗のお寺の奥さん50人に聞いた』    https://amzn.to/4qD5MHv ・『お寺のリアル2 浄土真宗のお寺の奥さん50人に聞いた』   https://amzn.to/3YL8hvL   お寺の活動、お寺の奥さんの実情についてお話をうかがえる貴重な機会かと思います。ご関心のある方は、ぜひぜひご参加ください。

(1月10日)宗教社会学の会(研究報告会)に出席してきました。

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 午前中、お参りを終えて午後から、相愛大学・南港キャンパスで行われた「宗教社会学の会」の研究報告会に参加しました。  リンク: 宗教社会学の会1月研究報告会 以前にも参加していた記録をこちらに書いています。↓ https://ryogo1977.blogspot.com/2023/10/20231028.html 以下の二つの研究発表がありました。 ◆報告1:藤井麻央(大谷大学)「金光教における教団と信者」 ◆報告2:嵜本圭子(大阪公立大学)「大阪市西淀川区の2つのイスラーム施設における女性・子どもへの支援」  第一の報告は、戦後の金光教における「信徒議員」の出現、その背景として青年会活動・信徒会の結成・活動に注目された研究でした。宗教教団の政治状況(いわゆる宗政)において、信者の宗政への参加に注目される視点は、浄土真宗本願寺派もそのような仕組みが用いられていることから、大変興味深く聞かせていただきました。(報告者も、金光教と浄土真宗本願寺派にそのような体制がとられているという共通点があることを指摘されていました。これは特徴的なもののようです)  ある意味で、宗政の望ましい状況とはどのような形態か、教団運営の「民主的なあり方」とは、というような問いに接続するものであろうと思います。また、そもそも宗教者―信者という関係性が単純な上下関係でいいのかというような問いにもなろうかと思います。  個人的には、浄土真宗本願寺派の宗政関係の方にも聞いていただけたら、そもそもの教団運営・意思決定の体制の在り方について議論をするきっかけにもなるのではないかと一人思いを巡らしたりしました。  第二の報告では、大阪にあるイスラム宗教施設における女性支援・子ども支援の状況について、参与観察に基づいた報告が行われました。  出身国・背景によって女性の位置や考えかたが異なること、それらから場合によってはコンフリクトが生じることなどを、質問の中でも具体的なケースについて議論が深まっていました。  私も質問したのですが、「女性支援」や「女性の活躍」が希求されるというのは、もちろん望ましいことではあるのですが、その中にはある種の日本化・ジャパナイズといった問題も考えられるのではないかという点についても議論がありました。  この会は、宗教学の分野で大変著名な、多くの成果を出されている先生方がた...

(1月7日)お寺の子どもだけれども、初もうでに連れていかれてるという話

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  今週からまた始まった保育園への登園。7日の保育園は、「みんなで初詣に行きます」とご案内がありました。帰ってきた、こどもは、「初詣いってきたよ。◎◎神社に歩いて行った」とご機嫌に報告してくれました。  お察しかもしれませんが、私はなんかモヤモヤとしています。  僕自身を振り返ると、公立の1年制の幼稚園にいっていたせいか、神社への「初詣」なるものは、幼少のころに(そして、思い返してもいままで)経験した記憶がありません。  神社に「お参り」にいったのは、小学校のミニバスで全国大会に行ったときに、スケジュールに「明治神宮への参拝」(多分、勝利祈願)があって、「今、神社におまいりしてるわ」と、なんか思っていた記憶があるくらいです。  まあ、お寺の子どもとして、育った僕は、当たり前のように初詣でや、参拝とは無縁の育ちをしてきまして、今もそれとは異なる信仰文化を選択的に生活しているわけであります。   自分がなににもやもやしているのか、というと、厳密には、子どもが「初詣」に行った(連れていかれた)ことそれ自体より、「神社に初詣に行かない(積極的にいかないという選択をする)という信仰や文化がある」ということに対する配慮というか、私たちような人がいるということについては、たぶん想像されていないんだろうなぁということなのです。   誤解のないように、言っておきますと「自分たちがこうだから、初詣をいかないようにしてください」と、保育園の行事や予定の変更をお願いするようなことまでは求めたいとは思っていなくて、むしろ、そういう文化に触れる機会があってもいいだろうなぁくらいは思っているのです。  なににもやもやしているかというと、繰り返しになりますが、「初詣」を明確に、信仰のともなう宗教的行為と認識して、積極的に「行かない」という選択をしている私たちのような人たちの存在は、おそらく想像の外側にあるのだろう、という現状にもやもやとしているのです。  別に怒ったり、疑義を呈したり、なにか現状変更をもとめたりしているわけではなく、ただ、モヤモヤとしている部分があるというだけです。  子どもが楽しそうに、「初詣いってきたよ」という報告はうれしくききましたし、その子どもが参拝した神社の宮司さんともめんしきがあり、とてもよい方であると存知上げていますということも付言しておきます。

1月6日は、仕事はじめと、南條了瑛さんから『浄土真宗における伝道の歴史的展開―近世関東地域の親鸞伝承を中心に』をご恵贈いただく

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 1月6日(火) この日から、お寺は月参りを再開。妻も出勤、子どもも保育園へ登園。大学も授業再開。ということで、子どもを保育園へ送り、お参り(月参りと法事)をお勤めした後、あわあわと大学へ移動。 年末年始はお寺で諸行事がありながらも、リフレッシュすることができたからか、大学ではたまったお仕事を集中して片付けていくことができました。 大学の方に、郵便で届けられていたのが以下のご著書。 南條了瑛『浄土真宗における伝道の歴史的展開―近世関東地域の親鸞伝承を中心に』を、著者ご本人からご恵贈いただきました。 博士論文をもとに出版されたご著書です。 南條さんは、龍谷大学大学院実践真宗学研究科の修了生で、その後、同大学院文学研究科博士課程真宗学専攻へ進まれ、博士論文を執筆されました。 学部生のころには、非常勤講師として担当していた講義を受講してくださっていたのですが、博士論文を出されるまでの成果を上げられました。 (私は、博士論文を出せていません) 本書は、博士論文をもとにされながらも、文体はですます調に改められ、読みやすい形にされているようです。 また拝読して、勉強させていただきたいと思います。

(1月5日)2026年初法座 「心のよりどころ」ということ

1月5日は、毎年「初法座」としてお勤めをしています。 今年も15名ほどのみなさんがお参りください、初法座をお勤めしました。 この年末年始と初法座で、お話しさせていただいたことの一つは、 「手を合わせる場を持つということ」について、とでもいうようなことでした。  昨年は、いくつかのいわゆる「仏壇じまい」「墓じまい」のお勤めをさせていただくことがありました。これまで「手を合わせ」、「お参り」をされてきた場がしまわれていく、閉じられていく流れがあります。さまざまな状況の中で、それは致し方ないことではあります。しかし、そういう場が閉じられていく、しまわれていく局面に立ち会って、あらためて、お参りをする場が、「心のよりどころ」であったということを感じずにはいられないことがたびたびありました。  思えば、お仏壇やお墓に、どんなときに身を置き、手を合わせられるでしょうか。  もちろん、年中の決まった季節や、日常でお参りを大切にされているということもあるでしょう。しかし、それとともに、改めてそういった仏さまの前、お参りの場に身を置こうと思われるときのなかには、心が動揺しているとき、自分一人では受け止めきれないことが起こったとき、ということもあるように思うのです。  自分一人では受け止めきれないことがおこったとき、身を置く場、こころのよりどころが、お仏壇の前であり、ご本尊・仏さまの前であるとするならば、それらを手放していくようなあり方は、言い方を変えると、「人生で起こる出来事を自分一人の裁量で処理していく、受け止めていく」ような心持ちが求められるというようなことではないかと思うのです。  そして、それは、多くの人にとって(もちろん私にとっても)とても困難なことを求められるようなことでもあります。  しばしば「仏壇じまい」について、子どもやあとの人に「面倒をかけたくない」といわれることがありますが、お仏壇に手を合わせることは、面倒なこと、手間がかかることのように見えるかもしれませんが、実は、お仏壇をお世話している・負担を負っているのとは違う面があるのではないかと思うのです。お仏壇という手を合わせる場をもっている、家庭のなかにあるということは、受け入れがたいことがあったとき、心穏やかで亡くなった時に身を置く場があるということであり、それは、我々の方が「支えられる場」を持っているということ...

おやつのお坊さんから、『おやつのお坊さん』をお年玉のように頂戴したというお話

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おてらおやつクラブ( https://otera-oyatsu.club/ )の 松島靖郎ご住職から、ご著書 『おやつのおぼうさん ― おすそわけで子どもたちを笑顔に―』 ( https://amzn.to/4pn5DXS )をご恵贈いただきました。  早速に拝読したいと思います。  松島さんがSNSで挙げられていた「ゆうかい事件」のくだり、とても気になったので早速拝見しましたが、驚きのできごとでした。(笑)    おてらおやつクラブ( https://otera-oyatsu.club/ )は、松島靖朗ご住職が、大阪であった母子が餓死されるという事件をきっかけに、お寺のおそなえもののおやつを、経済的に困窮されている母子家庭を中心に支援団体を通じて届けるという活動からはじめられたものです。  いまでは、全国の寺院2300か寺以上にひろがっています。  詳細は、こちらから  https://otera-oyatsu.club/about/  

(1月3日)おもちゃ王国

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 元旦の子どもの発熱で徳島への妻の実家への里帰りがキャンセルになったので、ほぼ休日のような予定。午前中、すこしお寺で作業をして、昼前から外出することに。    神戸のフルーツフラワーパークと、アウトレットに行こうと車で移動していたが、高速出口の大渋滞にひるんでしまう。列にならぶのがあまり好きではない。  車内で妻の提案で急遽、目的地を「東条湖おもちゃ王国」に。  すこし遠回りになったが、12時に到着。    おそらく子どもが2歳の時に来て、2回目の訪問。  以前より、乗り物も、おもちゃも十分に楽しめるようになって、「めっちゃたのしかったなぁ」とのたまい、充実。  「もっと遊びたかった」「夜もあそびたかった」と名残惜しそうに、親をお困らせ、ちょっとだけぐずりながら、しぶしぶとお別れ。  帰り道は、2日連続になる「つかしん」。  お正月営業のお風呂はめちゃ込みだった。  

(1月2日)予定が変更になり尼崎で過ごす。

1月2日金曜日。 昨日のお昼に子どもが熱を出し、わちゃわちゃとする。一晩明けると、けろっとして元気になっていたが、里がえりの予定はキャンセルすることに。 午前中は恒例の門徒総代さんからの新年のご挨拶をいただく。 午後は、部屋の片づけなどを少しして、つかしん( https://www.tsukashin.com/ )をぷらぷら。こどもが好きな、ネコカフェに30分。本屋や、家電売り場のおもちゃコーナーなどを見て回って帰宅。 ややお正月らしい(?)一日を過ごす。 論文原稿の校正や、新年度のシラバス作成など、やらなければいけないことは積みあがったまま。(ごめんなさい)

新年の予定・2026

年明けの予定は、ここ数年定着している。 今年の予定は以下の通り。 1日 修正会をお勤めした後、のんびりと過ごす(年越しの夜はあまり寝られないため)   ・新聞5紙(読売・朝日・毎日・産経・神戸)を可能な限り入手して見比べる。 2日 御門徒のご挨拶の訪問を受けたあと、午後から妻の実家の徳島へ。 3日 日中徳島で過ごし、尼崎へ戻る。 4日 午前中にお供えのお餅を切り分ける(翌5日の初法座で配るため) 5日 午前に初法座でお勤めとお話を。 6日 月参りと大学の講義が始まる。平常運転開始。 うん。あっという間に、お正月気分も終わりそうだ…。

2026 あけましておめでとうございます。

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 新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。  大みそかの夜は除夜会(23:45)、元旦は修正会(7:00)を無事にお勤めし、一年が過ぎまた新しい一年が始まりました。  昨年は新しい環境に身を置かせていただき、これまでと違う立場と責任をいただいた一年でした。お寺でのお勤めや護持・運営、大学での研究や教育・指導、いずれもできる限りで努めてきましたが、やはり限られた時間と体力の中で、いずれも完全にとはいかない難しさを感じる日々でもありました。  また「勤め」に時間が必要になってしまって、地域での活動や交流の方では、失礼することもままあるようになっていました。  40代も終盤にさしかかってきました。  ふりかえると、思いつくまま、気持ちとからだを向けて暮らしてきてしまったような私ですが、そろそろ何を大事にするか、何をあきらめるか、しっかりと考えて整理しないといけない年齢になってきたように思います。(いまさら…)  一日一日、大事に過ごしていきたいと念頭に当たって思いました。  南無阿弥陀仏 称六字。 

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