2018年2月15日木曜日

シンポジウム「グリーフケアとしての伝統仏教」@應典院(1/21のこと)

(もう1ヶ月近く前のことになるけれど、書き切れていなかったのでいまさらになる)

2018年1月21日(土)13:30~16:30
應典院で開催されていたコモンズフェスタの一環としてあったシンポジウム「グリーフケアとしての伝統仏教」に登壇させていただいた。

ウェブページ
http://www.fmz1999.com/2018_commons/003.html

フェイスブック イベントページ
https://www.facebook.com/events/357876154638499


登壇者は、
・中平了悟 (浄土真宗本願寺派 西正寺僧侶/龍谷大学大学院実践真宗学研究科 実習助手)
・大塚茜さん (浄土真宗本願寺派眞西寺寺族 / NPO法人「和」理事長)
・山田昌史 さん(山田石材合資会社[名古屋] / 真宗大谷派教師)
・秋田光彦 さん(浄土宗大蓮寺・應典院住職)
・宮原俊也 さん(帝塚山大学こころのケアセンター臨床心理士)
・佐脇亜依 さん(京都市ユースサービス協会・臨床心理士)
・進行、湯山佐世子 さん(應典院寺町倶楽部 執行部役員)
というラインナップ(チラシ等掲載順)。

◆ 應典院は、1614年に建立、1997年に再建されたお寺だが、再建後は、一般的な寺院ではなく、演劇や講演会、シンポジウム、さまざまなワークショップが展開される場として開かれ、運営されてきた。
 地域に開かれたお寺という意味では、先進的な取り組みを絶えず行ってこられた場であり、自分自身もその場で多くのことを学ばせていただいた。たくさんのセッションに参加して、学ばせていただくことがあった場で、まさか自分が話し手側で参加させていただくことがあろうとは思ってもいなかった。お話をいただいたときに、とてもうれしく光栄なことと思ったことを鮮明に覚えている。今回のお話は、まずはとてもうれしく、光栄なことだという思いがあって、それは登壇後の今も続いている。

◆ 会の趣旨としては、ホームページ等に掲載の通り。企画者からは、「一般の特に應典院をフィールドとしている劇団の方「や、「仏教に全くなじみのない方」を対象として想定したいということ、そしてできる限り「専門」から離れた、一般にむけて言葉を発して欲しいということで依頼を受けていた。

◆ 僕が心がけていたことは、仏教の現実面において、儀礼や習慣の長所のみを語るのではなく、短所も含み持った部分があるということも提示したいということ。その点は、会の中でしばしば提示できたように思う。また冒頭の挨拶の中で、臨床心理士の方からも、仏教はグリーフケアとして意味があるということのみを言っておわり、というようにはしたくないという言葉があったように、会の視野の中にも含まれていたように思う。

◆ 7人が前に立つという大所帯ながら、ディスカッションはとてもここちよく、全体としてあっという間に過ぎ去った印象。
 儀礼の意味や、宗教者の果たしてきた役割、あるいは「石材店(お墓屋さん)」という立場から、檀信徒(参列者)さんの生の声や、僧侶には直接伝えられないクレームも紹介されるなど、「宗教儀礼」「追悼法要」を中心とした場に埋め込まれている、思想や感情などにじっくりと目を向ける時間だったようにおもう。

◆ またそれは同時に、参加者の人たち、聴衆のみなさんの、「グリーフ」や追悼の場や形式の見直しにもつながっていたように思う。イベントあとに何人かの方が、SNSやブログなどで、感想をUPしてくださっていたものを見たところ、結構な方が、具体的な揺らぎを感じて下さったり、参拝や仏前へ座るなどしてみたという方、あるいはそれらの意味を実践しながら再度見つめてみたという声があった。
 会が、参加して下さったみなさんの日常の変容や、見つめ直しをもたらしていたら大変うれしいことだと思っているが、この会は、かなり目に見えるかたちで、それらがまきおこされていたような印象を受けた。

◆ ともかく、まあ、あの應典院のイベントに声を掛けていただき、登壇したということだけで、僕自身にとっては、かなり画期となる一日だったことはまちがいない。



 

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