順番にさかのぼりつつ書いておくくらいがいいのだろうか。
2018年2月2日(金)は、おふろバーの9回目。
尼崎ENGAWA化計画の藤本遼くんと、
蓬莱湯の女将・稲さんが開催していたところに、4回目から声がかかって、ホスト役で参加している行事。
これまでの流れをふり返ってみると、いろいろと興味深い試み、実験の場として、この場に関わらせていただいているように思う。
人とのつながりを大事にしながら、「ゆるやかさ」を求めるとき、どれくらい関与するのがいいのか。
どのようなコンテンツをだすのか。
むしろ、なにもしかけず「場」を設けるだけで何が起こるのか。
もちろん、温泉があり、料理があり、お酒があるという魅力は大きい。
でもその場に、どう関与するのか、なにを差し出すのか。
なにもしていないようで(実際になにもしないように努力していることもある)、考えたり試みたりすることの多いイベント。
しかし、それほど責任感やプレッシャーを負うことなく、とても楽しくできている。
また、常にいろんな人がやってきて、交流が展開されていくのも、続けていけている理由だろう。
この日は、女将の知り合いの方のお嬢さんが歌手活動をされているということで、会のなかで、歌をうたってもらう時間があった。
9回目にして初の試み。
距離感が近く、ノーマイクの歌で、ここでしか聞けないもの、触れられない距離感があったかな。
おふろバーで面白いなとおもうのは、「銭湯」好きの方や、「お風呂関係」のマニア的な情報や、知識をも持っている方、あるいはお風呂巡りやさまざまな取り組みを実践されている方というのが、訪れるということ。(今回とても面白かったのは、「サウナ」活動をされている「サウナー」がいらっしゃっていた)
もちろん、会場の「蓬莱湯」さんの取り組みと知名度があってのことでもあるだろう。
そして、そこで展開されているコミュニケーションの形や、情報交換、ハブとなる情報や、ネットワーク、イベントなどは、自分には縁遠いものでありながら、それに触れて感じる感覚は、大変おもしろものがある。
自分の知らない世界に触れられている、感覚とか、
全く知らなかった価値観とそれにもとづいて展開されているネットワークと交流。
なんだろうか。
自分の価値観にはなかったものを知ることで、自分の知っている世界の狭さを知らされたような感じでもある。
あるいは、自分の知らなかった新しい世界を覗いたような感覚でもある。
あるいは、「コミュニケーション」とか「コミュニティ」の本質みたいなものに触れる糸口がそこにあるような感覚なのかもしれない。
ともかく、「お風呂」とか「銭湯」とか、風呂屋の主人とか、独自の風呂釜とか、システムとか、それらまつわるイベントとかで、やいのやいのという人たちの輪に触れるというのは面白いものである。
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