2015年8月6日木曜日

鵜飼秀徳『寺院消滅~失われる「地方」と「宗教」』




鵜飼秀徳『寺院消滅~失われる「地方」と「宗教」』

2015/8/6(木)
鵜飼秀徳『寺院消滅~失われる「地方」と「宗教」』(日経BP社、2015年5月25日刊行)

寺院・住職に対するインタビュー、取材を元にしたルポタージュといった性格の本。

全体で4章構成
 第1章は時代・社会変化、災害などの事象によって、運営・経営の危機に瀕する(瀕しながらも奮闘する)寺院の実状、
 第2章は、時代に適応しようとし、新たな試みをしたりするなどしている僧侶、寺院の姿を、
 第3章は、廃仏毀釈や、農地改革などで劇的な影響を受けた歴史的な背景から寺院の実状に近づこうとし、
 第4章には、各教団がおこなった実態調査の報告が(付録的に)置かれている。

 こういう性格の本を書こうとすると、やはり「事例紹介的」にならざるを得ないのは、寺院寺院で、規模や実状がまったく異なるからだろう。隣同士のお寺でも抱えている問題や、状況はまったく違ったりする。
 そういう意味では、一般化できる問題と、個別的な問題が、併置されるように語られていて、それを見分けることがむずかしい(見分けることというより、分類することがほぼ困難)なのではないだろうか。人によって、「一般的な問題」と思われることと「個別的な事例だな」と思うことの境界があいまいだったりする。 共感するしかないということも、一般化して語る事を許さずに「ルポ」的に、こういう手法で語っていくしかないのかな、といつも思う。

 寺院や宗教が果たすべき役割、求められること、というのも同様で、地域や立場によってそれぞれ考えていることが違うので、これまた一般化できない。
 これはもう、コミュニケーション能力でその場、その地域で発掘していくしかないのではないかと思っている。

 時間を掛けずにざっくりと書くので乱暴になるけれど、こういう個別的な事例を、無理矢理に一般化するのではなくて(する場合は慎重にしつつ)、
読み人個人の課題や思いとすりあわせながら、自分のなかに落とし込んでいくまで、というのがこういう性格の書の向き合い方かな~等と思った次第。十把一絡げにしてはいけない。
 

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http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/matome/15/326116/060400010/?ST=business&P=1

http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/240960.html

http://webronza.asahi.com/culture/articles/2015061700005.html


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