割と困る質問:「永代供養ってしてもらえますか?」(その2)
割と困る質問:「永代供養ってしてもらえますか?」(その1) からの続きです 「永代供養ってしてもらえますか?」という質問の悩ましさは、上に書いたその意味が多義的ということのほかにも、悩ましさがある。 ◎ 「永代供養したから、お経をあげる」というわけではない。 永代供養したから、その方のご供養はお引き受けしましたよ、というように請け合えるかというとそうではないのだ。「永代供養しても、してもらえないのか?」というと、むしろ逆で、 「永代供養されても、しなくても、お勤めはする」 のである。 あくまでも、私の場合、今の 西正寺 の場合は、という前提がつくものではあるが、以下のような考えをしている。 西正寺の合同墓に納骨された方で、(仮にこの言葉を使うが)「永代供養」を依頼され、懇志を収められた方だけお勤めし、そうではない方はしない、みたいなことができるかというと、そのような器用なことはできないわけである。 あるいは、永代供養の懇志・お布施の額に見合ったことをそれぞれするかというと、またその金額に応じてどうこうということもできない。 要は、合同墓に納骨されると、永代供養したからどうこうということはなく、皆同じようにお参りされ、お勤めさせていただくことになるのだろうということである。 なので、特別に「永代供養」どうこうといわれると違和感が生じるというのは、永代供養したから、しなかったからというところに、なにか変な差があるようなニュアンスが生まれてしまうのではないかというところにもある。 ◎「永代」(永遠)を保証するのもむずかしいよね、ということもある。 「それをいっちゃあおしまいよ」といわれるかもしれないが、正直「永代」「永遠」のお勤めを請け負い難いということもある。いつかはおわりがくるし、諸行無常の理(ことわり)を説き続けてきた仏教が、「永代」ってそんなに簡単に保証できるの?というような思いも正直している。 wikiペディア「永代供養」 の項目は割と親切な記述だったりしていると思う。(「… 言葉どおりの「永代」ではない。 また、霊園の 倒産 、寺院の廃寺などにより墓が消滅に追い込まれることもあり、この「永代」も保証されるわけではない。 」というあたり ) もちろん、現行、西正寺では年忌を区切るということをしていないので、お寺が続く限りお勤めはさ...