2023年11月30日木曜日

欠如・不安によって開かれてくる地平 磯前順一著『居場所のなさを旅しよう』とシェル・シルヴァシュタイン『ぼくを探しに』

先日来読んでいる本。磯前順一著『居場所のなさを旅しよう』がとてもよかった。

「はじめに」の一文を引用します。
「居場所をなさを感じている者同士が出会い、勇気をもって心を相手に開くとき、その居場所のなさの感覚こそが新たな絆をもたらしてくれるからです。この本は、居場所のない私があちこち旅をした記録であり、心の軌跡でもあります。今自分が居る場所がなんだかしっくりこない人が、これを読んで「ああ、自分もう生きていくことができる」「道はある」と思ってくれたらうれしいです」(5ページ)

この言葉にたがわず、欠如や不安、傷や苦悩・悲嘆の経験が開いていくもの、見つめさせるもの、それによってつながっていくものが、丁寧に、切実に描かれています。

 アメリカに留学中に著者は、酒井さんという先輩から、このような助言をもらったといいます。

白人じゃないきみはきっといじめられるだろう。きみが何を言っても、「日本人だから」で片づけられてしまう。君の声を聴こうとする人は少ないだろう。でも、それが学問にとって大切なんだよ。白人という居場所をもらえないきみは、「居場所のなさ」が本当の意味でわかるようになる。日本人として日本で育った君にはわからない、日本にいるマイノリティの気持ちがわかるようになる

  ズシンとくる言葉でした。

 また、本書の中で紹介されていた一冊が、シェル・シルヴァシュタイン『ぼくを探しに』https://amzn.to/3sVxHu2)という本。



これは、家庭用と、授業やお話の資料・提示用に2冊買ってしまった。

シンプル・単純な線で描かれた絵本ですが、ぐっとくるものがあります。
主人公は、表紙にもあるように、三角形の欠け目がある丸なのです。昔のゲームのパックマンような。

彼は、自分の足りない「かけら」を探して旅をしています。
「ぼくはかけらを探してる 足りないかけらを探してる ラッタッタ さあ行くぞ 足りないかけらを探しにね」
彼は欠如があって、完全な〇(マル)ではないので、あまりはやくは移動できないのです。歌いながら、晴れや雨・雪の天気を楽しみながら、虫や花と戯れたり会話しながら、旅をしています。
ついに彼は、かけらを見つけるのです。ぴったりとはまり、〇になった彼は、それまでよりもスムーズに移動することができるようになります。
ところが、それによって彼はみみずや、花やチョウと戯れることができなくなります。うまく歌も歌えなくなってしまうのです。そして、彼はそのピッタリはまったかけらを自らおろして、また「かけら」を探す旅を続ける、という物語です。

欠如や不安、あるいは悲嘆は、日常生活を停滞させます。
スムーズに歩くことができなくなるものです。できれば無い方がいいのでしょう。
でも、その一見「停滞」に見える何かが、それまでの不安のない生活、悲嘆や欠如の無い状態ではみえなかった「何か」を見せるチャンネルになるようにも思うのです。アンテナが立つようになるのです。

不安というテーマに向き合ったとき、登壇者の先生たちは一様に、不安を払しょくするのではなく、それと向き合う姿勢を示されていたように思います。
とりのぞむものではなく、それがもたらすものはなにか。それによって見いだされるものはなにか。
 その一つは、自らの人生そのものや、人が抱える困難や悲嘆に目が向くようになる、心が向けられるようになる。そんなチャンネルでもあるのではないだろうか。

 この2書は、人におすすめできるいい本だなぁと思っている。




大阪教区(津村別院)の鼎談の登壇と、もちつきの会議

 

 大阪教区寺族婦人会連盟 60周年のつどい という大変大きな会に出させていただきました。こちらは、数年かかりで企画され、「不安のなかに生きるわたし」というテーマでこの鼎談に向けて継続的に取り組みをしてこられました。

 今日は、若松英輔さんの基調講演と、その後、著名な天岸浄圓先生、それに私が加わって鼎談をするというもの。正直、この顔ぶれに、なぜ私と誰もが思われるのではないかと思います。

 若松先生には、はじめてお目にかかってご挨拶をさせていただきましたが、控室でも楽しくお話をしてくださり、終始楽しく、なごやかなムードで打ち合わせという名の雑談もさせていただきました。



 はじまってみると、あっという間で、登壇者としてお役目を果たせたのかなというくらい、若松先生、天岸先生のお話に聞き入っていました。(タイムキーパー役は一定、果たせていたと思います)

 若松先生からは、テーマの「不安」や、さらには「宗教」「宗教者」にまつわる深い問いを投げかけていただきました。

 昨今の状況に「宗教」とはなにかを語らない宗教者が、宗教を壊しているのではないか。
 「宗教」についてわれわれがもっと語るべきではないのか

 不安は決して否定されるものではなく、新しい地平を切り開くものである。

 不安を手放さずにいたい

等の印象的な言葉がありました。(※進行しながらだったので、しっかりとしたメモを取っておらず、記憶に頼って書き出しています。表現については、もしかすると差意があるかもしれません)


 終わった直後は、あまり感じていなかったのですが、帰りの電車~帰宅するまで、ぼんやりしてしまってあまり記憶がなく、それなりに疲労していたのかもしれません。(それほどなにかしたのかという問いは残りますが… 苦笑)


 帰宅後、年末に地域のもちつきを今年はお寺の境内で行うということで、関係者10数名の方と顔合わせと打ち合わせの会合に行きました。

 地域の神社の宮司さんと、お店で同席して、お食事を一緒にするという、記念すべき機会でもありました。(盆踊りやお祭りなどで、テントで同席するということはありましたが、お店で席を同じくするというのは貴重な機会でした)
 普段来られない方も、「もちつき」をきっかけに初めてお寺にお越しいただけることも多くあるだろうと思います。青年団の方も「お寺いったことないです」という方もいらっしゃいました。こういう地域組織の行事がお寺でできるようになるということも、大変意義深いことだと思っています。

 12月24日の日曜日は、西正寺で地域のもちつきです。
 ぜんざいもふるまわれる予定です。
 また告知もしますが、どなたでも歓迎ということなので、ぜひぜひおこしください。
 (※ おもち、ぜんざいはなくなり次第終了とのことです)


【追記】

 不安に関連して、示唆を受けた本についても書き出してみました。
欠如・不安によって開かれてくる地平 磯前順一著『居場所のなさを旅しよう』とシェル・シルヴァシュタイン『ぼくを探しに』
https://ryogo1977.blogspot.com/2023/11/blog-post_76.html


2023年11月15日水曜日

令和5年の西正寺の報恩講法要が無事に終わりました

 あっという間に数日が経ちました。おかげさまで、先週、10日(金)、11日(土)の両日に、西正寺の報恩講法要を無事お勤めすることができました。

 先日もこちら(https://ryogo1977.blogspot.com/2023/11/blog-post_6.html)で、ご案内しておりましたが、報恩講は、浄土真宗で最も大切にされている法要で、西正寺では、近隣のご住職にもご出勤いただき、おつとめいただいています。

 コロナ以来4年ぶりに、近隣のご法中(ほっちゅう※)方をお招きしてのお勤めでした。
 この数年に世代交代も進んだようで、平均年齢も幾分か若くなられた印象です。(そもそも、西正寺が世代交代しているのですが)

  ※ 法中(ほっちゅう):近隣のご住職、お勤めに出られる僧侶方をこのように呼びます。


 御法話の御講師は、熊本県八代市から、木下明水先生にお越しいただきました。
 滞りのない流ちょうな話しぶりは、伝統的な御法話を基調にされながらも、ご自身の芸能界での経験や、ウラ話もふんだんに織り込まれており、笑いの絶えない御法話の時間でもありました。

 木下先生めあてに、近隣のご住職や、遠方からお越しになるかたも。

 お参りくださった御門徒のみなさんからも、「楽しかった」「ありがたかった」と好評の声がたくさんありました。








 


2023年11月6日月曜日

今週の金曜、土曜は報恩講法要です。

・今週は報恩講法要です

今週末、11月10日(金)、11日(土)は、西正寺の報恩講法要が勤まります。
報恩講法要は、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の遺徳、御恩をしのびお勤めする法要です。浄土真宗においては最も大切にされている法要です。

西正寺門信徒のみなさんに限らず、どなたでもお参りいただけます。
ご関心をもっていただけたら、ぜひぜひ足を運んでお参りくださったらうれしいです。


西正寺の報恩講の詳細は、以下の西正寺のホームページからご覧ください。

令和5年 西正寺 報恩講法要
 https://saishoji.net/archives/1347


・近隣のご住職とのお参り合い

 報恩講法要は、浄土真宗で最も大切にされる法要です。
 西正寺では毎年11月にお勤めをしています。近隣の同派のお寺も前後1~2か月くらいの間でお勤めされることが多く、この時期はお付き合いのあるお寺同士で報恩講法要の参りあいがあります。
 私も、先月から3件ほどのお寺の報恩講に出勤させていただいています。

 西正寺での報恩講でも、今回は法要の2日間の間で、10数か寺のお寺にお参りにお越しいただき、一緒に法要をお勤めします。
 コロナで、お参り合いが数年見合わされていました。今回は、2019年以来4年ぶりに、報恩講法要として、大勢のご住職方と一緒にお勤めさせていただく機会になります。


・御講師は 木下明水 先生

 両日、法話の寤講師として木下明水 先生にお越しいただきます。
 木下先生については、wikiペディアでもご紹介があり、その経歴は多くの方が目にされる形で公開されています。

 ・「木下明水」wikiペディア

 現在は、熊本県八代市の勝明寺のご住職、浄土真宗本願寺派布教使としてご活躍です。 
 浄土真宗本願寺派の僧侶としての修学、研鑽を重ねられていて、本願寺宗学院を修了されたのち、安居や各地の研修会でもご活躍です。

 以前は、タレント活動をされていて、テレビやラジオ等で広くご活躍されていました。 そういうご経歴もあって、明るく、楽しい語り口の中に、しっかりと 浄土真宗の教え、親鸞聖人の説かれた阿弥陀如来の本願念仏の教えをお伝えくださるご法話をしてくださる方です。
 
 木下明水先生のお話や活動を以下の、ユーチューブやホームページでご覧になれます。

 


 ということで、今週末は、西正寺の報恩講法要です。
 多くの皆さんのお参りをお待ちしております。




2023年11月3日金曜日

報恩講の準備をしたり、大学の講義に出たりした日(2023年11月2日)

2023年11月2日(木)
 午前中は、事務作業と少し早いが報恩講の準備のためのそうじ、お荘厳を本堂で。
 報恩講(https://saishoji.net/archives/1347)は、浄土真宗で一番大事な法要である。お掃除も、普段しないような、お内陣の畳を上げてほこりをとったり、すみや手が届きにくいところに雑巾がけなどをする。
 
 掃除機をかけ、ホコリをとっていくと、堂内の雰囲気が変わった気がする。
 見えないけれども、そうじされた場所というところには、人間は何かを感じるセンサーのようなものがあるように思う。
 
 報恩講本番までは、すこし日があるので、今日の準備は一部のみ。すこしずつ進めていく。

 

 午後も、そうじと、来客の応対、軽い打ち合わせ等のスケジュールをこなしたあと、相愛大学の講義(真宗伝道演習)へ。 

 
 講義開始から、1分遅れて教室にはいると、こんな感じだった。
 「だれもいない…」

 さらに1分後、1人の受講している学生さんが入室。
 しばらくまっても、だれもこないので、マンツーマンの講義。
 
 先週は、別の学生さんとマンツーマンだった。苦笑
 登録している受講生が3名の講義で、1人は、家庭的事情で2週間休むと聞いているので、さらに1人お休みすると、マンツーマンの講義になるという具合。
 
 対話型で、まあ楽しく講義の時間を過ごす。

 終了後は、尼崎に来ている義父母と妻子と食事をして帰宅。という1日。
 
 日本シリーズは、阪神が、勝利して、日本一に王手をかける。






2023年11月1日水曜日

アーユスの声明「「イスラエルとハマスの一連の武力衝突に関して」について


 NPO法人 アーユス仏教国際協力ネットワーク
 「 イスラエルとハマスの一連の武力衝突に関して
 https://ngo-ayus.jp/column/middle_east/2023/10/23palestine/?fbclid=IwAR0iAC0PS93zdn-vqv0IrTTMYJvsAp-8VH-9F_r3XhYkdGQBDNQS-fXoqBs


 私も理事として名を連ねさせていただいているNPO法人 アーユス仏教国際協力ネットワークが、イスラエルとハマスの武力衝突に関して、声明を出しました。

声明の作成については、事務局と理事の間でもいろいろな議論がありました。また専門委員の先生からも種々訂正や見直しの指摘があったと伺っています。
 
 もしかすると、立場によって見えるものが異なることがあるかもしれません。あるいは、私もアーユスからも見えていない光景があるのかもしれません。
 
 しかしながら、一貫して議論で、見つめられ続けていたことは、国・勢力が争う中で、苦しめられている市民がいるということ、そしてそこへの支援は何があってもとどめられてはならない、苦難を止める努力は続けられなければならないということだったのではなかったかと振り返っています。

 恥ずかしながら、この声明に関する議論が立ちあがるまで、パレスチナ問題については、耳にしてはあいまいになり、ちゃんと学ぶこともありませんでした。あらためて、情報にふれ、学び知るべきであったこと、知らなかったことがたくさんあったことに気が付きました。
 今回の件で、このことについても、もっとちゃんと目と耳を開いていかなければいけないと思いなおしています。
 
 


以下、アーユスの声明を全文転載します。

「イスラエルとハマスの一連の武力衝突に関して」


アーユスは1993年の設立以来、仏教系NGOとして平和が守られ人権が尊重される社会をめざして活動してきました。とりわけパレスチナ問題に対して深い関心を持ち、そこで活動するNGOに協力してきました。故郷から離散を強いられて難民となったり、占領下という不条理な状況におかれたりしても、民族自決を実現しようと立ち上がるパレスチナ人の姿に感銘を受け、また命を重んじる仏教者の団体として、宗教が深く関わっているこの問題を看過できませんでした。これまで、ヨルダン川西岸地区やガザ地区、レバノンに暮らすパレスチナ難民に向けた人道支援や生活改善への取り組みに資金協力を行い、紛争時に停戦を求める活動をパートナー団体などと連携して行ってきました。 2023年10月7日から続くイスラエルとハマスとの一連の武力衝突によって、双方の民間人に多数の犠牲者が生み出されています。この状況に対し強い憤りを覚えるとともに、すべての被害者に心からの哀悼の意を表し、一刻でも早い停戦が訪れることを願います。同時に既に米国で6歳のパレスチナ人の少年が殺害された事件のように、憎しみの連鎖が生まれ、これ以上の悲劇が繰り返されないことを心から願うばかりです。 2023年10月7日、パレスチナ抵抗組織ハマスはイスラエルへの攻撃を再開しました。それ以降、ガザ地区は完全封鎖され、人々は逃げる場所もない中でイスラエル軍の空爆と砲撃にさらされています。人道支援物資や水や電気が止められて基本的な生活が危機的な状況に陥っていることに加え、病院は最低限の治療行為すらできなくなる瀬戸際に立たされています。このような状況下でもっとも多くの犠牲や困難に直面するのは、女性や子ども、高齢者や障がい者です。ガザの被害状況は日々悪化の一途を辿っており、現地から日本のNGOに寄せられる声や動画は、壊滅的に破壊された町並みの映像と共に、まるで「最後のメッセージ」かのようなものが多く、言葉を失います。また非人道的な状況は、ガザ地区のみならずヨルダン川西岸地区でも起きています。この間のユダヤ人入植者による暴力やイスラエル軍による攻撃はこれまで以上に激しくなり、犠牲者も多数でています。 今回の武力衝突が起きた背景は、パレスチナ人が置かれてきた状況やこれまでの経緯を踏まえなければ理解できないでしょう。パレスチナ人が難民になってから75年もの年月が過ぎていますが、この間、パレスチナ人が置かれた状況は悪化し続けてきました。ガザ地区、西岸地区ともにイスラエルによって56年間も占領下におかれています。ガザ地区にいたっては17年間にもわたり封鎖されているために、人々は地区外へ自由に移動することすらできずにいました。このような非人道的な状況が放置されてきたことについて、日本や欧米諸国などを含む国際社会には大きな責任があり、私たちはこれらの現実を忘れてはなりません。 だからこそわたしたちは、常に脆弱な立場におかれているパレスチナ人の側に立つことを心に、まずは停戦への働きかけをするとともに、人々が生きるための支援活動に協力していきます。



大学の講義でATTF2をやったよという件(その3) ATTFで遊んだ意味とは

大学の講義でATTF2をやったよという件(その3) ATTFで遊んだ意味とは

 大学の講義でATTF2をやったよという件(その2)
 ATTFとはなにか、どう遊ぶか からの続き

https://ryogo1977.blogspot.com/2023/11/attf2attf.html

・ゲームを終えて


 ATTFのおわりに、

・ベストおせっかいニスト(一番たくさんおせっかいをした人)の表彰
 → といっても、紹介と拍手

・ベストおせっかい(各グループの一番傑作のおせっかい) の決定と共有

 をして、今回の感想を話し合った。

・学生さんの感想

 講義おわりに、学生さんに書いてもらった感想を一部抜粋すると、以下の様なものがあった。


・国語の教職をとっているため、授業でぜひ取り入れたいと考えた。また尼崎だけではなく、さまざまな県や市のもの(カード)を作ればいいのにと感じた。 

・話したことのない人と同じ班だったが、盛り上がって楽しかった。またゲームであったが、悩みの内容は自分の町にも共通しているところがあるのだろうなと思った。/ 母親が民生委員をしていて、独居老人を気にかけているから、身近に感じた。 

・今回のゲームもとてもおもしろかったです。手札が少ないから珍回答がでたり、パワープレイだったりして、見ていて楽しいです。タイ人のお母さんが学級新聞を読めないという課題が現実にもあるんだろうなと思ったら、心がくるしくなりました。こんな課題を解決するようなサポートがあるのかなど、調べてみるのもよいなと思いました。 

・高齢化の問題、若者の地方離れなど、尼崎以外の地域が抱えている問題を再確認しました。 

・高齢者の扱いがなまなましく表れていると思いました。 

・カードの手札の中だけで解決しないといけないところ、現実社会でも当てはまると感じました。お金があれば解決できるだろうが、創意工夫してなんとか解決に向かうところが問題解決のキモだと感じました。 

・ゲームめっちゃたのしかったです!発想力と想像力が豊か似なるなーと思いました。/新鮮で楽しかったです。またやりたいと思いました。 

・グループでやったことのないようなゲームで他の知ったです。現実的に考える人もいれば、大喜利する人もいて、多種多様な人がいて、新鮮だった。


 ・最後に、ATTFで遊んで得られるものとは?

 講義でATTFをして、学生さんたちに投げかけるようなことは、次のようなことだ。

 (1)課題はどこにあるのだろうか?

 「聞いてカード」で、まちのひとの声に触れてもらった。何気ない会話の中で触れることもあるかもしれない内容だったりする。あるいは、何気なく、普通に見えるように暮らしていて、裏側にそんな悩みや、言えなさを抱えているかもしれないという想像力を持つことで、見えなかったものが見え、気づけるようになるのではないだろうか。

 (2)どうやって解決するか?

 ATTFの面白さは、新しい何かをお金や労力をかけて作るのではなく、すでにある、「ありもの」で解決することにもあるのだろうと思っている。 当たり前にあるもの、あるいは目の前にあるものを、別の角度や切り口で光を当ててみたり、従来とは違う場所に置いたり、異なる役割を与えてみたり、あるいは、単純に誰か特定の人に声をかけて、お願いをするだけで、物事が解決に向かうことがあるのではないか。 「創造」ではなく「編集」という手法で解決することを考えるチャンネルが切り開かれるように思う。

 それは、ほかならぬ自分の置き場所、用い方を見直すことにもなるだろうし、この講義に当てはめてみれば、「仏教」「お寺」「僧侶」が、社会にどう切り結ぶか、どのように立ち振る舞うかという見直し(編集しなおし)を行うことで、開かれてくる可能性も見いだされるように思うのである。(これが、この講義で行う意味だと自分的には納得している)

 (3)課題か、お宝か?

 ATTFをやってみると、思い当たるのだが、実はおたからカードと、リソースカードで内容が重なるものがある。たとえば、空き家は、おたからカード(地域資源)でもあり、「空き家問題」という課題でもある。あるいは、高齢者(独居や、健康問題等9や、町内会長(引き受けてがいない)も、課題を抱えているが、場合によっては(そして実際に)お宝カードでもあるように地域のリソースにもなりうる。

 ゲームなので、これは「おたからカード」(リソース)、これは「聞いてカード」(課題)と、明確に区分されるが、現実社会はそうではない。 課題に見えていたものが、置き場所を変えれば、役割を変えれば、リソースにもなりうるということでもある。

 たんに切り口、見方を変えるといえば、簡単なようだけれども、それが達成されるだけで、かなりいろいろな可能性が広がってくることでもあるように思うのだ。


 とまあ、このようにまとめて、講義は終わったわけであるけれど、社会とつながりを考えるうえで、楽しく遊べて深く考えられるATTFは本当にすごいなぁと、活用するたびに思うわけである。

(一応おわり)


大学の講義でATTF2をやったよという件(その2) ATTFとはなにか、どう遊ぶか

大学の講義でATTF2をやったよという件(その2) ATTFとはなにか、どう遊ぶか


・ATTFとはなにか

 ということで、今日の講義では、ATTF2(Amagasaki Toi The Future2)というカードゲームをプレイしてもらうことにした。

 ATTFとはなにか。 下の画像のようなカードを用いたカードゲームで、尼崎市が市制100周年を記念して、2016年に制作したものである。(尼崎市による紹介は以下のリンクに)

・尼崎市市役所「カードゲーム「アマガサキトゥザフューチャー2」」

・(尼崎市)AMANISM 「ATTF2」

行政が、市民と一緒に作成したカードゲームである。私も作成段階でお声がけいただいて市民の一人として作成にかかわった。過去に行われたバージョンアップの際や、現在も行われている小中学校での授業での活用にも、お声がけいただいて関わっていて、思い入れもあるカードゲームだ。





 ・ATTFの遊び方

 尼崎市が以下の動画で紹介してくれている。
 5分とちょっと長めなので、お時間があればご覧ください。

 「聞いてカード」と、「おたからカード」の2種類のカードがあり、プレイヤーは、この聞いてカードのお悩みを、尼崎市の「おたから」つまりは、まちのリソースを組み合わせながら、解決する方法を考え、編み出すというゲームである。



・学生さんにプレイしてもらう

ということで、この日の講義は、ATTF2をプレイしてもらうこと。
遊んでもらうなかで、「まちの声(=社会課題や、現実生活での悩みや、グチ)」に触れ、また、「町のリソース(=地域資源とか、人、施設、あるいはなにげなく見過ごしがちなもの)」をとらえる視座を獲得してもらおう、考えてもらおうというわけである。

 流れとしては、以下の様な感じ。
 
 ・講義の振り返り、イントロ
 ・ATTFの簡単な紹介
 ・グループ分け (5~6人で1組)
   → この日は、16人出席していたので、 5・5・6の3グループ
 ・グループで、自己紹介してしゃべった後、
   1)カードの検分 : どんなカードがあるのか、ながめてもらう
   2)カード配布、親決め、ルール説明
 ・実際に遊んでみる

 という感じで進む。
 
 始まると、徐々にもりあがり、あとは放っておいても、楽しく遊んでもらえたようだ。
 もちろん、いつもこんな風にうまくいくわけではない。
 過去には、盛り上げようという雰囲気があまりなく、「こなす」だけで淡々と進むグループ(こうなると面白くない)とか、おもしろいアイデアのつくりかたがわからず沈黙が多くなってしまうケース とかもあったこともある。そういう意味では、前向きに、楽しもうという姿勢がないと、もりさがってしまうこともあるわけで、盛り上がりは、一重に受講してくれている学生さんたちの、前向きな姿勢のおかげである。 


 30分ほど、体験してもらったあとは、振り返りの時間である。
 (その3へつづく)

 その3へ 
講義の振り返りと、学生さんの感想、ATTFで遊んだ意味は?)


追記

これまで、中央仏教学院研究科講義「社会伝道論」、浄土真宗本願寺派伝道院「法座をひらこう」、園田学園女子大学(学部共通「つながりプロジェクト」といったところで、講義・講座としてATTFを活用したことがあったけれど、龍谷大学の真宗学で扱ったのは初めてのことだった。



大学の講義でATTF2をやったよという件(その1) 伝道学特殊講義と今期のこれまで

・講義の概要について

今日(すでに昨日、10/31(火))は担当している講義への出講。2つあって、そのうちの一つは、
龍谷大学文学部真宗学科の「伝道学特殊講義」。
真宗学における「伝道学」といえば、多くのアプローチは「宗教者による伝道はいかにあるべきか」というような、伝道の主体の思想や、実践を問題とするものが大半であっただろうと理解している。

この講義では、視点を変えて、伝道の客体・対象である「社会」に目を向けて、社会の中での宗教の位置づけや、相互的な関係、あるいは社会課題そのものをテーマとして扱うことを主軸にしている。その中で、そのような社会の中に生きる主体として、自ずから何か立ち上がってくるものがあるのだろうと考えている。

 付言しておくと、主に中央仏教学院で担当していた「社会伝道論」(現代社会における社会課題・問題を扱うという講義)での経験を踏まえて行っているものでもある。

 中央仏教学院でも、この講義でも、テキストとして大谷栄一 川又俊則 猪瀬優理編『基礎ゼミ 宗教学』(世界思想社、2017年)を使用している。


『基礎ゼミ 宗教学』 https://amzn.to/49i24vi

(テキストにしている『基礎ゼミ宗教学』)
とはいえ、がっつり準拠しているわけではなく、
対象の学科の特性に応じてアレンジして講義を行っている。

2023年度のシラバスである。


 

・これまでやってきたこと

 今日(10月31日)は、8回目。ちょうど折り返しくらいに差し掛かった。
 これまで、宗教、宗教施設等についての基礎知識や、現代社会と宗教の関係として、「世俗主義/世俗化」などを講義した。それに続いて、ここ2回はちょっと工夫して、お芝居のワークショップを行った。

 儀礼について、近しい関係で考え方が違うというシチュエーションを演じてもらったり、宗教ツーリズム的な視点から、経済や地域社会と宗教施設の関係等について、多様な主体(僧侶、地域住民、お店屋さん、旅人)が、それぞれの本音を持ちつつ、お寺の在り方に語るなどというものだ。




 これも、中央仏教学院の講義で、僧侶である学生さんたちに行ってもらっていたものを移植したものだ。あちらは、中学・高校のような固定のクラスという関係性で行っているもので、大学のこの講義のみの関係性で顔を合わせる学生さんたちではどうなることかと心配していたが、やってみると、意外と面白がってくれて、いい雰囲気だったので、これはATTFもしておかなければというのが今回の背景。
 
 (その2へ続く)



「宗教」・「カルト」を扱う講義をするので

今日の龍谷大学文学部で担当している「伝道学特殊講義」(学部3・4回生対象)は、講義で指定しているテキスト 『基礎ゼミ宗教学(第2版)』 。今回は、第9章の「カルト問題」にどう向き合うか?―カルト、偽装勧誘、マインド・コントロール」を扱う予定。  数年前に大阪大学が、大学としてのカ...