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5/17 meets the 福祉 ワークショップ

実行委員のメンバーとして関与している「meets the 福祉」。 5月17日の夜に、第1回目の公開ワークショップが実施されました。 さまざまな障がいを抱えていらっしゃる方、それから手話などのサポート、支援の方たちと一緒に、どう11月の「福祉まつり」を迎えるか、ワークショップをおこなった。 いろいろなアイデアや視点がでてくる。 日頃なんとなく過ごしていては、考えもつかなかった視点が、 ハンディや不便さの点から提示されて、ハッとする。 おなじグループにいらっしゃった方。 行事・イベントで不便に感じたことはなにか? ということを提示し合う中で、 障がいのために「そもそも参加しないから、不便に感じることもない」 「参加しても一人になることがおおく、コミュニケーションができないから、いかない、いっても帰ることが多い」という方がいらっしゃった。 しかし、この日の「meets the福祉」のワークショップには、 ウェルカム感がある。 みなさんが、ちゃんとコミュケーションをとろうとしくてれるから 「きてよかった」といってくださった。 その言葉を聞いたときには、ふるえるような思いがした。 自分たちがその方から認めてもらえたような思いがした。 いろんな方がいらっしゃることを想定しながら、準備をしている。 もしかすると、漏れているかもしれない「だれか」がいるかもしれない。 「だれか」にとっては、居心地のわるい場所になってしまっているのかもしれない。 だとするならば、それは僕たちが「みんな」というその「みんな」の中その「だれか」を含み切れていなかったということかもしれない。 もちろん、すべての人をふくみこめる「みんな」というのは、到達し得ない「理想」・「理念」なのかもしれない。 でも、来てくれる人が楽しくいられるように、きてよかったといられるように、「みんな」をできるだけ広げられるようにしながら、11月を迎えようとしているこの行事は、自分にとっての「みんな」に対する想像力を大きく広げてくれてもいるように思う。 https://www.facebook.com/meetsthefukushi/

西正寺 第14回はなまつり

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 2017年4月2日(日)  自坊・西正寺で「はなまつり」の行事をしました。  始めたのは14年前、昨年は参加申し込みが少なくて中止になったので、 2年ぶりの開催でした。  9:30~12:00まで、今年は16名ほどのお子さん(2才~小学校6年生)と、2人の赤ちゃん、それから数名の保護者の方の参加がありました。   おおよその流れは、    ○受付    ○開会の挨拶と、注意事項    ○オープニングのレクレーション    ◎腕輪念珠づくり    ◎スペシャルゲスト、チャーハンさん、タクトさん、ガチさんのパフォーマンス    ◎はなまつりの礼拝    (さんだんのうた、ねんぶつ)濯仏の礼拝    ◎おはなし      ◎レクレーション       みんなで境内に絵を描こう!    ○閉会 と、 こんな感じで行いました。 参加して下さったみなさんもとっても楽しんでいただけたようで、 わざわざ御礼の電話や、メールを下さって、 「帰ってきてから、お釈迦様の誕生日なんやねで~」とか、いろんな会話もあったようです。 うれしい、うれしい。 最初は、タクトさんが、 みんなが知ってる「あの曲」に乗せて、楽しいパフォーマンスを見せてくれました。 すごい!まわってる! チャーハンさんのパフォーマンス。うほっ。 シンプルだけれど、楽しい地面へのお絵かき。 20分くらいで、あっというまに素晴らしいアートに。 「花祭り楽しい」という言葉もあちこちに。うれしいですね~。 最後は、みんなで記念撮影。 ※パフォーマンスを披露して下さった チャーハンさんのプロフィールはこちら チャーハン。 フットバッグフリースタイラー。 世界唯一のオリジナルスタイルで、空間をアートにクリエイトする。 自身がリーダーを務めるプロフェッショナルなエンターテイメント集団[LifeUnder(eN)]ライフ・アンダー・エンのチームプロデュースも行う。 2013年2014年と2年連続で 神戸のダンスコンテストにて審査員特別賞を受賞。 JJS(ジャグリングジャムセッション)という1on1のオールジャンルのフリースタイルボール...

テラハとその後、自分にとってのあの場所との「これから」

【テラハとその後。事故と事故現場との向き合い】  昨日、テラからはじまるこれからのハナシ。の4回目を開催しました。  テーマはすでに紹介していたように、JR福知山線の脱線事故。詳細はまたお話ししたいと思いますが、この企画によって、自分自身が地域にあるあの事故の現場とちゃんと向き合う気持ちをもてたように思います。  私は、事故現場にある追悼の場所・献花場に足を運ぶことはできていませんでした。軽々に足を踏み入れては行けない場所であるような思いと、はたして自分はそこにいくことができるような資格があるのかという思い、どれもそうであるようで、どれもぴったり完全に一致するのではないような、なんともいえないような思いをもっていました。ただ、はっきりといえるのは、結果として足を運ぶことができなかったということ。  ただ、このテラハを企画したことで、事故について触れ、語るには、この企画を言い出した責任の一つとして、あの場に立たねばならない、あそこに行かないといけない、そんな思いがおこっていました。そのようなこともあり、(のびのびになっていたのですが)開催当日(3/4土)、献花場に手を合わせる時間を持ちました。持つことができました。  そこに足を運んでいくときも、緊張感か、なんともいえない思いを感じていました。それは、その場所の空気だったように思います。そこだけ、地域の日常から切り離されたような空気感がありました。  24時間警備員の人がいて、JRの職員さんもいて、おそらく遺族の方にもそうされているのであろう、深々としたお辞儀をされました。  なんともいえない思いをもって、献花台の前に立ち、手を合わせました。  たくさんのお花、そして立てられたお線香と、炭の入った香炉。ずっとお線香は絶やされることなく焚かれ、またお焼香の炭は常に火を保っていたのだろうと容易に想像ができました。  あれから12年近く。この追悼の場所ができてから、ずっとこのお線香と炭火は絶やされずに燃え続けていたのだろうか、とその時間の長さに思いが向きました。  その場にいたJRの職員さんにすこしお尋ねをしました。  追悼の場のお花やお線香について。おそらく遺族の方であろう可能性を思われていたのであろう、丁寧な態度で言葉を選ばれるようにお話くださいました。  そして、その後、再度手を合わせて、その場を去...

シンポジウム『儀礼空間の必要性とはたらき』

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一日の仕事を終えて、これを聞きに大阪・本町の北御堂に行きました。 北御堂 公開シンポジウム 「儀礼空間の必要性とはたらき」 プログラムは、 ・内田樹先生「武道の道場空間とその指南力」 ・中沢新一先生「葬送儀礼の黄金比率」 ・釈徹宗先生「儀礼にゆさぶられる」 の講演があったあと、 寺本知正先生の進行で、パネルディスカッション。 18:00~21:00の3時間という長丁場だったけれど、とても興味深いお話がたくさんありよかった。 全体を通して感じたことは、 その「場」や「人」に蓄積されたものをいかに感じ、うけとめていくかということか。 思念・願い・死者を感じたり、それに向き合っていく能力についての示唆。 それは、「場」によって養われると共に、我々自身もいかにそのような 「清らか」で「意志」とか「思念」とか「願い」とか「敬意」が蓄積された場を編んでいくか、築いていくかということにかかっているのだろう。 それは内面的なものでもあるだろうし、 あるいは「儀礼」や「行為」はたまた、生存や生活に関わる「営み」が真摯に積み重ねられた場でも養われる可能性があるように感じた。 他人(他者ではなく)によって、「無機質に造られた場」には立ちあらわれえない、 人が時間を掛けて、「思い」とか「営み」を積み重ねた場所の意味。 そしてそのような場所を感じる能力(それは、今日的には喪失させられてきているという危機感も)をいかに養っていくかがテーマだったか。 以下メモ (ざっと個人的な要約なので、シンポジウムでの言葉と異なるところがあります) ・「場」(道場)に対する感覚と、場(道場)によって養われる感覚。  →その場が蓄積してきた空気や、その場に関わってきた人の想いの蓄積が「場」の空気や、価値をつくる。  →その場に対する敬意や、「清らかさ(清めようという意志)」が場を造る。  →穢れ(汚れ)た場は、自己を守ろうとしてしまう。体を硬くし、小さくする。 ・「空間とやりとりする能力」を養成するには、実際に「そういう場」に触れないといけない。 ・儀礼とは「繰り返し」の行為。 同じ動作を繰り返し行うことが、儀礼の本質的なことがらの一つ。 ・人は、「他者の不在」を、なんらかの象徴を用い、それを記号にすることによって、「儀礼」行為を行っ...

テラからはじまるこれからのハナシ。 4回目に、脱線事故現場について考えるということについて、

テラハのイベントページはこちらです。 https://www.facebook.com/events/151892765303253/ 次回のテラハについて、すこしお話をしたいと思います。 テラハでは、「JRの脱線事故」という出来事そのものよりも、 「あの現場という場所」そして、そこに関わる私たち自身の心や、「尼崎」という街について、考えたいと思っています。 それは、すこし、複雑な話かもしれません。  それは、主催者の私自身の思いを語るとすこしご理解いただけるかも知れません。  私自身は、あの事故で被害を受けた知人がいるわけではありません。あの現場に、足繁く追悼に足を運んでいるわけでもありません。  しかし、平日の通勤や、檀家さんのおうちへのお参りの際など、日常的にあの踏切をとおり、あのマンション(だった場所)の前を通過しています。そのたびに、あの事故のことを思い出し、あそこへ足を運ばれている方、人生が変わった方がいたことを思わずにはいられません。24時間、絶え間なく交代して警備を続けている人の姿にも、考えさせられるものがあります。  4月25日には、尼崎駅で、たくさんの黒い服を着た方、花を持たれた方と出会います。あるいは、その頃には、一列になってその事故の現場へ足を運ばれる方たちを見かけることがあります。    「あの事故の関係者ですか?」と問われれば、私は「いえ、そうではありません」と答えます。ただ、「近所に住んでいる者」に過ぎません。  しかし、近所に住んでいるという点において、事故の現場、人が追悼に訪れる場所と共に暮らしているという点において、さまざまな思いをかかえて生活し、あの場所を目にしてきました。その意味で、「当事者ではないけれども、影響を受けているという意味においては、当事者ならざるをえない」という曖昧な立場にあるのではないかと思います。  すこし、話が変わりますが、22年前の「阪神淡路大震災」における、私の立場にもかさなる点があります。  京都や、神戸からすこし離れた地に行き、「尼崎出身です」というと、「地震大丈夫だった?」と聞かれますが、「たいしたことありませんよ」と答えていました。  長田をはじめとした神戸、あるいは尼崎でも武庫川にちかい西側に比べて、比較的被害は軽いものでした。しかしそれでも、家はかなり傷み、...

大崎善生『聖の青春』

大崎善生『聖の青春』(角川文庫) 映画『聖の青春』を元旦に見て以来 、一連の本を読んでいた。 ・山本おさむ マンガ・『聖(さとし) 天才・羽生が恐れた男』 ・大崎善生『角川つばさ文庫版 聖の青春 病気と戦いながら将棋日本一をめざした少年』 ただ映画も含めやはり、一連の本の原点・原作がこの大崎善生『聖の青春』。 映画や漫画ではカットされていたエピソードも含まれていて、それがまた村山棋士の実像と、生きる姿を思わせられる。 3才で腎ネフローゼを発症し、死を意識しながら、「将棋を指す」という人生を生きた棋士・村山聖の生涯。 映画では、7段昇格からが物語りの中心だったが、本書では、3才のネフローゼ発症から、将棋との出あい、奨励会入会も含め、その人生通して描かれている。

「手に入らない中で生きる」スキル

この「山中伸弥教授と羽生善治棋士との対談」を読んでふとおもったこと。 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50589 AIや、IPS細胞。 第一人者でさえ驚くほどのスピードで、技術が進んでいる。 不可能がどんどん可能になる。治らなかった病気が治るようになる。 万能に近づき、望ものがどんどんと人間の手の中に入ってくるようになるのだろう。 人類がそっちへむかって、どんどんとスピードをあげて進んでいるように錯覚さえ覚える。 しかしその分、不可能なことの、叶えられないことの、そしてそちら側にいることの苦悩が大きくなるのではないか。 「いかにそれを手に入れるのか」、「いかにそれを達成するのか」というスキルに関心がないわけではない。 しかし、それと同等以上に、 「いかに”手に入らないものがある”という中で生きていくか」、「いかに”受け入れがたい状態である”中で生きていくか」というスキルアップも必要ではないかと思う。 そして、それは、他者から押し付けられるものではなく、自己自身が問い、作業するなかでしかえられないのかもしれない。それが「行」としての営みなのかもしれない。

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