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西正寺「はすの会」2018・第二回

2018年4月28日  13:30から、自坊で定期的に開催している「はすの会」。今年度2回目。  今年のテーマは、「蓮如上人と御文章」。  テキストとして、『書いて味わう御文章』を使用している。 ・本願寺出版社リンク https://hongwanji-shuppan.com/item/detail.html?icd=978-4-89416-434-5 ・アマゾン https://amzn.to/2HD7BTI 今回は、テキストの概説的な記述を扱いながら、 ご文章についてのあらましを解説。途中、吉崎での伝説的な逸話―肉付きの面、腹籠もり―についても触れる。 参加者は、いつもメンバーの他、新規で2名の方がいらっしゃってくださった。 西正寺での法要で、情報を知り、 インターネットで、僕の投稿等から関心を持ってきて下さったという。  はすの会は、 平成27年(2015年)から、オープンな会として、1回ことの会費を設定して、出入りしやすくなるように意識してきた。おかげで1回のみでの参加や、ご門徒以外の方のメンバー化も増えてきている。これは大変うれしいこと。  期待に応えられるように、準備や工夫を怠らないようにしなければいけないと思う。  次回は、5月21日に、西正寺として宗祖降誕会法要がつとまるので、そちらに振替のような形となる。

関西臨床宗教師会の会議をしてきました。

4月26日 夕刻 日中、商店街のご挨拶まわり( https://ryogo1977.blogspot.jp/2018/04/blog-post_27.html )をして、夕刻からは、会議のため大阪梅田のサクラファミリアに向かいました。 事務局長を仰せつかっている、「関西臨床宗教師会」の会議のためです。 臨床宗教師とは、 医療・福祉など公共空間で、スピリチュアルケア・宗教的ケアを提供するなど、活動することのできるトレーニングを行った宗教者、あるいはすでにそのような場で活躍している宗教者を称する名称の一つとして使われています。  特に「臨床宗教師」は、そのようなトレーニングを積み、守るべき倫理綱領を遵守することが求められていることが特徴といえます。  日本臨床宗教師会 ホームページ  http://sicj.or.jp/ 2012年に東北大学で「臨床宗教師研修」が始まり、 勤務していた龍谷大学でも実践真宗学研究科が日本で2番目にその研修をスタートさせました。そのもろもろの関わりもあり、昨年から関西の臨床宗教師のグループ、「関西臨床宗教師会」で事務局長をすることになりました。 とはいえ、昨年8月にリスタートして、通年の行事や研修体制などを作っているところ、 積極的に活動に協力して下さっている役員や会員のみなさんで意見交換しながら、活動の方向をつめている段階です。 今回も、いつも来て下さっている役員会員の他に、新しく加わって下さった方も参加して下さり、活動の方針について、あれこれ意見交換することができました。 個人的には、社会一般に提供できる講座や研究会活動を展開していければいいなーとおもっています。 18:30から21:00に及ぶ長丁場でしたが、いい意見交換ができたとおもいます。 今後の活動も可能であれば、ご紹介していきたいと思っています。 どうぞよろしくおねがいいたします。

商店街にご挨拶まわり

4月26日(木)  午前は、夕刻にある会議の資料づくりや、会計の計算。外部との連絡。  午後からは、尼崎市市役所の職員さんTさんと、カリー寺スタッフの看護師Sさんとの3人で、上坂部商店街および上坂部内の各所をめぐりっていました。  僕のほうは、カリー寺の地域連携を、Tさんは、尼崎市の取り組み「みんなの尼崎大学」と「みんなのサマーセミナー」の説明と協力要請を、それぞれがつながっている商店や街の人を紹介しながら、お話をしてまわる、ということをしました。  まわったところは、  ・地域の顔でもあるお菓子屋さん  ・お花屋さん  ・不動産屋さん  ・豆腐屋さん  ・神社の宮司さん  ・上坂部集会所(見学・視察を兼ねて)  ・コープさん  ・たこ焼きやさん   → おなじ建物の飲食店さんも紹介してもらいました。  ・お茶屋さん  ・和菓子屋さん  ・バー 挙げてみると、いろんな人に挨拶してまわっていました。 挨拶にいって、初めて取り組みについて知って下さったところ、 関心を示して下さるところ、 意図を汲んでくれて、積極的に協力のかたちを提案してくださるところ どこも、お話を否定せずに聞いて下さって、大変ありがたくおもいました。 地域をめぐることで、いろんな可能性があることを改めて感じました。 声を掛けてお話をしてみると、 ただお見かけしているだけではまったく知ることのなかった お店や人の魅力が立ちあがってきて、 これからのお付き合いが始まるような予感がたくさんありました。 昨日は木曜日でもあり、閉店しているお店がたくさんあったので、 今日も午後からすこし継続して、まわる予定です。

熊野本宮大社→白浜ぐるっと

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4月23日(月)いろいろとたてこんでいるにも関わらず、一日休みをもらいまして、車でぐるっと観光をしてきました。 吉野から奈良の奥地に入っていき、 弁天宗さんの廟所を見学した後、 「じゃばらサイダー」なる変わったサイダーを見つけて飲み、 十津川村の「谷瀬の吊り橋」( http://totsukawa.info/joho/kanko/ )を渡り、 途中とても壮観な瀧を眺めた後、   熊野本宮大社(目的地)を見学、参拝。 (写真はのちほど) 近くの川湯温泉で、本当に川原に湧いている温泉があることを見聞して、 紀伊山地を抜けて、白浜温泉につかって、 帰宅しました。 移動距離は350㎞から400㎞くらい。 一日でまわれるものなのだなぁという感慨と、 あれこれ一気に行きすぎて、翌日にはずっと前の出来事だったような感覚にも・・・。

阪神東組・連研にて「幸せ」をテーマに考える

 2018年4月21日(土)午後は、阪神東組(地域の浄土真宗寺院のグループ)で開催されている連続研修会(連研)の講師を担当した。  あらかじめ決められたテーマがある研修会。今回は、「自分だけで幸せでいいのでしょうか?」という問いが設定されていた。けれど、講師に応じた変更は認られるということであったので、そもそも的な点を問い直したいと思い、「そもそも幸せとはなんだろうか」というようなことを問い、参加者のみなさんの話し合いを見守った。 (講師が10分問題提起をした後、60分参加者による話し合い、その後講師によるまとめという構成)  話し合いの冒頭、5分程時間をとり、ブレスト感覚で、「幸せ」を感じる時を書いてもらった。出てきた幸せの一部(かつ若干一般化して)を挙げると。  ・友人と会うこと。孫や親族と会うこと。  ・おいしいものを食べること  ・趣味の時間  ・新しいことを知ったとき、何かを達成したとき、  いろいろな「幸せ」が出てきた。多くの人に共感されるものもあれば、そんなところに幸せを感じるのかと意外だったものもあったりもする。  先日、この講座の内容をいきつけのカフェでしていた。そのマスターに「○○さんの幸せって何ですか?」って聞いたら、「猫と戯れるときっすね」という返事。その後、いくつか幸せと願望を聞かせてもらった。それをきいていながら、人それぞれの幸せがあっていいのだなぁと思った。  もしかすると、人それぞれの幸せがあって、一般化するのではなく「多様な幸せのかたち」に触れることでなにか気づきがあるのではないかと思った。実際に、話し合いの場における「幸せ」についての語りは、興味深かかった。  それから場は、幸せと不幸せの境目、またそれがそれぞれ何によってもたらされているのかという話になった。参加者による議論は、「自分のこころもち」「自分がどのように振る舞うのか」という人間の営みや理性によってそれを求めようというような議論になっていった。    しかし、流れを聞きながら、自分にとっては、そこでこそ仏教的な視点が投影される部分ではないかと思われた。  幸せはなにによってもたらされるのか、不幸せはなにによってもたらされるのか。そのような根っこになるのが、僕にとっては宗教的な部分ではないかと思われた。  想像を絶するような災...

【イベント】普通を語ろう(仮)

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2018年4月19日(木)19:00~21:00 「普通を語ろう(仮)」という行事を開催しました。  そもそもは、3月のある日。フェスブックで、人それぞれがもつ「普通」についての投稿を挙げていた友人の「まるちゃん」。彼とのやりとりで、すぐさま(ほとんど勢いで)「普通について語る場を持ちましょう」ということになり、これまたフェイスブックでイベントページを作成しました。  大した広報も、熱量も傾けずに当日を迎えました。  ただ、面白い場になるだろうなぁという期待だけはあるなかで、当日を迎えました。  主催者二人のSNSの投稿とやりとりには、この1ヶ月多めに「普通」や「常識」という語が意識されていました。とはいえ、当日まで、大した準備もしませんでした。    参加費は、西正寺イベントでは恒例のおさい銭システムでしたが、当日、 ごくごく普通の常識的な額を設定することにしました。   みなさんの参加費の常識がどのようなものだったかは、みなさんの「普通」にお任せします。(※ 経費分以外は、懇親会の足しになりました)   当日は、10名の参加者がありました。主催者2名も含めると場には12名。(内1名は、最後10分だけの参加でしたので、多くの時間は11名でしたが) 「どうしてこの会にきましたか?」ということも含めて自己紹介をする中から、いろんな「普通」がでてきました。    使いたくない「普通」、「普通」に暮らしたい、特別じゃない「普通」、おしつける「普通」、・・・。 前半戦から、僕が考えていた「普通」を超える、たくさんの普通があつまってきました。  「普通をつかわないのはどういう思いなんだろう」、「普通を使うときはどういう意図や思いがあるんだろう」。  意味や用例から、そこに乗せられている思い、どういう時に使うんだろう、あれこれ、あれこれ、話していく内に、あっというまに時間がたっていきました。  それぞれがいろいろなことを考える時間になったようでした。  延長戦は、近くの居酒屋「ふる里」で。  これまたにぎにぎしく語らいました。 最後に、個人の振り返りとしては、 ・一緒に会をやってくれ、素敵なファシグラも担当して下さった「まるちゃん」さんありがとうございま...

【新聞掲載】2018年4月17日産経新聞夕刊_テラハ「尼崎・JR脱線事故」の会とその後

2018年4月17日の産経新聞の夕刊に、リンク先のような記事を掲載いただきました。 『産経新聞』2018年4月17日夕刊 「悲しみを背負った街-目撃者の現場住民も「関係者」 家の前で電車が…僧侶ら思い聞き取る」 https://www.sankei.com/west/news/180417/wst1804170055-n1.html  これは、昨年(2017年)3月4日の開催した「テラからはじまるこれからのハナシ。vol.04 「街が背負う悲しみ」とそこで暮らす私たちの心 ~ 「脱線事故があった街・尼崎」にいるということ ~」( https://www.facebook.com/events/151892765303253/ ) )という会合と、そこから始まった聞き取りについて記事にしていただいたものです。  講師として来て下さった山本佳世子さんが、テラハ。の場で起こったことに大変関心をもってくださり、研究として検討する道筋をたててくれました。僕自身も、研究というテラハがある程度の社会性をもった媒体にのっていくこともあって、主催者として、「日本臨床宗教師会」のフォローアップ研修会での活動報告や、いくつかの研究会での事例紹介としてお話をさせていただいてきました。その中で、今回記者さんが関心をむけてくださり、記事になったという経緯があります。  とても丁寧に記事にしていただきました。また、夕刊の一面という大変大きな扱いをしていただき、反響もありました。  一方で、微妙なニュアンスが、もしかすると意図しない印象を含んでしまっていないかと気になっているところもあります。    私個人のコメントとしては、記事に 「遺族や負傷者に遠慮して思いを語ることができなかったが、(事故に)向き合ってきた住民がいることを知ってもらいたい」と簡潔にまとめられています。  記事内では「遠慮」と表現されている部分については、このテラハを開催するにあたって、このブログでも投稿した以下のリンクの記事がそれに該当するかと思います。   https://ryogo1977.blogspot.jp/2017/02/4.html  事故現場に対して、語り得ない、控えめになってしまう私たちの立場は、以下の部分の言葉のようなことを考えています。  つまりJR...

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