死後の世界は意味がないか?
浄土真宗は、「浄土」という思想をもっている。
死んだら、「天国にいく」のではなく、「お星様になる」のでもなく、「浄土に生まれる」という思想。
浄土さらに広くいえば、死後の観念自体については、今日的にはしばしば批判がある。
「死んだ後のことなんか、生きている間には関係がないじゃないか」
(つまり、浄土の信仰は、この生き方には無関係だという批判)とか、
「そもそも死んだ後の事なんか、本当にあるかどうか分からないじゃないか」
(あるかないか分からないものは、無意味だし、信じる事なんてできないという批判)
しかし、本当にそうなんだろうか。
たとえば、「悪いことをしたら、地獄落ちるよ」、とか、「嘘をついたら閻魔さんに舌を抜かれるよ」という死後の観念が、あるいは物語が、
「死んだ後のことだから、生きている間に関係ない」といえるかといえば、そうではなくて、
明らかに、生きている今に、影響を及ぼす。
先年、アマゾンで地獄の絵本の売り上げが良かったことが話題になった。
読み聞かせをしたら、子どもが「いい子になった」という。
ちなみに、アマゾンの感想。
アマゾン → 地獄の絵本
それから、まとめサイト。
http://matome.naver.jp/odai/2134501267609788301
ちなみにいっておくと、「地獄の話で、子どもを驚かして、扱いやすくしてしまおう」とか、
「懲罰があるから、ちゃんとよく生きないといけないのだ」とか、
勧善懲悪的な思想に与しようというわけではないので。
いわんとしていることは、「死後の観念」が、生きている今に影響を及ぼしているではないか、ということ。 本当は、「浄土」でそれを語るべきなんだろうけれど、それはまた別の機会にゆずりたい。
死後の観念について思うとき、必ずしも、「死後の世界が実在する」という主張をするという形をとる必要はないようにおもう。 ただ、言えることは、こういう「物語」を触れ、自分の中に蓄えている人と、そうでない人は、心の動きも、現実の振る舞いも異なってくるだろう。
「思想」とはなにか、ということを考えるとき、結局「言葉」や「物語」と切り離せないのではないかと思う。
思想をもつ、ということは、なんらかの「実在」を信じるというのではなく(そのように語られる場合ももちろんあるだろうけれど)、
たった一言の「言葉」、ちょっとした短い「文章」、あるいは長ければ「物語」といわれるものを
どのように自分のなかに蓄えているか、そんなことで表現することができないか。そんなことを考えている。
おそらく、すでに過去の思想家がそんなことを言っていそうにもおもうので、ご存じのひとは教えてもらいたいとも思います。
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