とあることをきっかけに、そもそもこの学問は・・・的なことを考えています。
□真宗学における「教理史的研究」について
昭和20年から30年頃に出版された研究書を中心とした研究業績、その中でも現在もその価値を失っていない重厚なものの中に多く、今日「教理史的な視点」と呼ばれるスタイルで研究されたものが多くあります。
言い方を変えると、そのころ、「教理史的な研究」といわれるものが、成果として世に出されるようになってきたというわけです。
その内容は、私の個人的なかつ暫定的な定義ですが、
真宗を研究するのに、「歴史学的な態度」を取り入れ、画一的な訓詁註釈ではなく、文献や祖師を研究する視点に、その時代性や社会状況も充分に視野に入れながらみていこうとするもの、と言えると考えています。
具体的にいえば、中国の唐の時代に生きた善導という人の行跡・思想を扱う場合、いまの我々の価値観、あるいは鎌倉時代の親鸞聖人・法然上人といった、後の世の目線(フィルター)を介して、それを眺めるのではなく、あくまでも、中国という国、唐という時代に生きた人物として善導を、そしてその場所・その時代で生きた人として、彼の書物を扱おうという視点といえます。
いってみれば、今日、文献を扱う際には、いわば当たり前と考えられる態度です。
□歴史学的な視点とその営み
ところが、これは言うほど簡単なことではありません。
なぜならば、それを研究対象とする私達自身もまた「歴史的な存在」だからです。
だからこそ、知らず知らずの内に、自分のなかにある無自覚な観念や考え方が、史料・文献を扱う際に、入り込んできてしまってしまいます。
それをまったくなくするんだ、というのではなく、そこに対して自覚的になる必要こそがあると考えます。パラドックスに陥るような感覚になりますが、「歴史学的な視点をもって、対象を眺める自分も実は歴史的な存在(歴史的制約、社会的制約を受けつつ存在していて、それから離れることはできない)」という事実とも向き合わないといけないということです。(自分の観念や、考え方を抜きに、完全に客観的な歴史や事実が存在する!と主張する人、あるいはそのように歴史を考える人も多くいます。そこには、落とし穴があることに気がついていないのではないかと・・・)
□教理史的(歴史学的)な視点の面白さ(個人的)
そこまで、踏まえてもらって、個人の思いを2つほど書きます。
1つめは、上述のような所に、私は研究することの面白さを感じているということ。
いわば自分ならざるものとして、過去の祖師やその文献と向き合うわけですが、
そのなかで、相手のことが分かると同時に、自分の無自覚だった観念や感覚・価値観が自覚的になってくるのです。
研究対象との向き合いや、過去の蓄積と自分の視点の違い、それらを頭のなかで、ぐるぐると回している内に、自分の視点・態度が相対化されて、無自覚な観念や感覚が、白日の下に引き出されてくる、そんな感覚が得られるときがあります。
ああ、自分はこんなところにこだわりを持っているのだなぁとか、
過去の人とは、こんな価値観の違いをもって生きていたのか、とか、
それは、結構楽しいものです。そこにいたるまで、結構な時間を費やさないといけないので、
いまはあんまりちゃんとできていませんが、結構楽しいものです。
だから、それは、純然たる客観の事実として歴史があるのではなく、見られるべき対象と、見ている主体との関係性のなかで、「どのような言葉で語られるのか」という、「語り」こそが歴史だというような感覚といえるのではないかと考えます。
だから、それは、純然たる客観の事実として歴史があるのではなく、見られるべき対象と、見ている主体との関係性のなかで、「どのような言葉で語られるのか」という、「語り」こそが歴史だというような感覚といえるのではないかと考えます。
□その営み自体歴史的な所産ではないのかという疑問
もう1つ、2つめ考えていることは、それ自体にも限界があると考えないといけないのではないか、ということ。
先に書いたように、昭和20~30年頃にいわゆる「教理史的な研究」がなされるようになりました。
これは、明治期に導入された西洋的な学問の波が、遅ればせながら真宗を対象とする学問にも及んできたことを意味しています。
しかし、そのことを振り返ってみると、その視点・研究法法自体が、時代的・社会的な要請や感覚によって導入されたものではないか、という疑問も立ち上がってきそうです。
つまり、「歴史的・社会的な制約を受けるものとして対象を見ていく」という態度は、その研究法法自体にも、向けることができる。そうしてみていくことで、それが果たしてきた役割や、いま、どうすべきかということについても自覚的になっていくことができるのではないだろうか、と考えたわけです。
電車のなかで、思いつくまま、ざっと書いたことでもあり、また、別段、新しいことを言っているわけではないと思います。(歴史学的な研究について云々のところは特に)
先日来考えていたことを、とりあえず、書き出してみたくなって、この媒体に書いて、
可能ならば、諸処からのご教授も仰いでみたく思ったわけで…。
2014/01/09(木) 電車の中にて りょうご
はじめてコメントします。これは僕もよく考えているつもりの問題ですが、難しいですよね。一番目の問題は同じようなことを去年龍教に来られた北条勝貴先生も論文「先達の物語を生きる」でおっしゃってました。
返信削除これらを踏まえてなされる歴史研究は、過去の可能性をより豊かにすることで今を生きる人々の生の選択に寄与し、体制的(支配的)な歴史観により抑圧・隠蔽されてきた過去を再発見し歴史を不断に更新していく責務を帯びる。
その通りだなあと思いました。この歴史理解は、鹿島徹さんの「物語り論的歴史理解の可能性のために」という論文に詳しくあるようで、読まないといけないのですが、読んでいません。北条先生はここから、東アジアにおいては僧伝がおそらくここでいう「語り」として作用したとして論を進められます。おもしろいのでおすすめです。
またこれに関する宮崎市定の文章が好きです。唯物史観について
唯物史観は仮説と認められれば学問の範囲にあるが、動かせない真理と見るなら、それは学問ではなくて宗教だ。原始共産社会なんていうものがあったかどうかは確認の限りではないが、奴隷制社会などというものは西洋史の上にも存在しなかったようだ。単に色眼鏡でなく、凸凹鏡で物をゆがめて見ているのである。いったい結論が先に出来ているなら何も骨を折って歴史を研究する必要はない。
と言ってまして示唆に富んだ表現だと思うのですが、ひっくり返すと、どのあたりで「完全な客観なんて無理、色眼鏡です。」と開き直ってしまうかも重要な気がします。凸凹鏡を恐れすぎても何も言えなくなってしまいますし、顕密体制論などの大きな仮説は立てられなくなってしまうように思います。
内田さん。コメントありがとうございます。
返信削除「先達の物語を生きる」は、研究所の研究生が紹介してくれて、コピーをくれました。 方々から進められた上に、今回も!これは読まねばなりません。
鹿島さんも知りませんでした。情報ありがたいです。
宮崎市定も示唆深いです。
唯物史観的な語りは、我々が持っている親鸞聖人のイメージにも大きな影響を与えている、というようなことを、ある先生のご教示から示唆を受けました。歴史的なことがら、人物の伝記の何にひっかかるか、という選択自体に、観察者の立場が影響を与えていると考えると、自分が見ているものが、すでに「選択している」ということで、これはこれでおもしろいと思っています。
というか、1~2世代前の史観で取り上げられていたトピックは、そういう意味からすれば、「取り上げられるべきこと」というよりも、「取り上げるべきものと見ていた史観」という可能性を考えないといけないのではないかと。そんなことを考えています。
つれづれ。乱文ごめんなさい。
私の方こそ放り込みコメントで失礼いたしました。
削除本当に親鸞聖人は伝記としても思想的にもいろんな要素を持っているので、どこを強調するかで、相当な幅がありそうです。
教理史としても、例えば中国仏教史にかかっているバイアス(ここでも唯物史観的なものの場合も多いような気がします)も考慮しないといけないんでしょうね。
「〇〇年前の人がこんなこと考えてたなんてすごい!」というありがちな感想は進歩史観の影響があるのかもしれない、と最近思いました。
内田さん
返信削除とんでもない。レスポンスは非常にありがたしです!^^
いろいろと興味深い事が多いです。
今後もぜひぜひよろしく!