昨日、大学内の本屋でふと見かけて、買ってしまった本。
三浦しをん『舟を編む』。
予想以上におもしろく、感慨深かった。感想やレビューはまた改めて書きたい。
主人公の「まじめ」さんは、とても変わった人で、「エスカレーターに乗る人を見ること」が趣味だという。
「電車からホームに降りたら、俺はわざとゆっくり歩くんです。乗客は俺を追い越して、エスカレーターに殺到していく。けれど、乱闘や混乱は生じません。まるでだれかが操っているかのように、二列になって順番にエスカレーターに乗る。しかも左側は立ち止まって運ばれていく列、右がわは歩いて上っていく列と、ちゃんとわかれて。ラッシュも気にならないほど、うつくしい情景です」
(中略)…そこに美と喜びを見いだす馬締は、やはり辞書づくりに向いている。
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朝、職場に向かう道中。京都駅。
中央の改札を出て、左に進む。
その流れに乗ってすこしすすむと、左の階段から下りてた人の流れがそこに加わる。
流れの先に目をやると、ちょうどあふれかえった人の流れが、二つに分かれていくように、徐々に開いていくところだった。
人の波がハッキリと2つに分かれると、歩道沿いに左側へと進む流れ、横断歩道を渡るために右へと進む流れに分かれた。
多くの人は、流れの真ん中辺りに固まって進む。
何人かの人たちは、その人混みを避けるようにやや外側を歩く。人混みを避けながら、でも流れに沿いながら、同じ方向に向かう。
水が平地を流れながら、川の流れを形作っていくような過程を見たような気がした。
そんな光景がおもしろいと思ったのも、昨夜に「まじめ」さんの言葉に触れたからだ。
今まで毎日歩きながら、人の流れを「面白いもの」と思って見ることもなかったし、そこに美を見いだすことはなかった。
けれど、そこに美があると、語ることばに触れて、改めてみると確かにそのようにも見ることができた。
言葉は、見たものを表現し、あるいは心を表現する手段のように思われる場合もある。
しかし一方で、言葉によって物を見て、言葉によってそのような感情が立ち上がってくるという面もある。
言葉がなければ、なにも「見ることはできない」し、言葉がなければ、何かを感じたり、思ったりすることはできない。
少なくとも、昨夜に読んだ言葉が、今朝の風景を与えてくれたように思う。
そんな世界の見方を変えてくれた本に触れられた翌朝は、幸せな気分だった。
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