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みんなの法話10/06/20

本願寺新報 6月20号「みんなの法話」より 「怒る」と「叱る」は違うのです。「怒る」は子どもの身になれずに、自分の都合ばかりを押しつけている態度です。「叱る」とは、まず自分の都合を離れて、子どもの身になって、言い諭す態度です。 / その時の私はまさに「怒る」でした。「こんなに苦労しているのに」と、自分の都合で怒りの弓を引き、その矢を長男に向けていたのです 苦労をすれば苦労をにぎる / 我慢をすれば我慢がたまる / 我が励めば、励むが残る / 積んだそれらが他人を泣かす / 放す力が南無阿弥陀仏

教えと機根と

歩きながら、法座や講義で話すことを考える。 弥陀の救いとか、浄土の教えとか それが、自分にどう関わっているかということがよく疑問とされる。 阿弥陀仏は、どんな人でも、どんなに悪い人でも、救ってくれるといって、それが自分にどんな意味があるのか? 浄土は、死んだ後に生まれるすばらしいさとりの世界だとして、それが今の自分にどう関わるのか。 でも、そういう教えでなければ救われないという自分と出遇うところに、 その救いや浄土に照らされて自分の姿を知らされるということに、 一つの意味があるのじゃないか。

ちょっと進むと仕事はおもしろい。

研究所の仕事。 一人・二人でしていたら全然進まなかった仕事が、メンバーが増えて、会議を重ねていくことで どんどんと形になっていく。 おもしろい企画に形づくられていく。 いまさらながらに、ちょっとずつ仕事を積み重ねていくということの意味が、 いままでと違う形でわかってきたような感覚。

レッツノートのタブレット

最近の愛読雑誌『週刊アスキー』 アキバ系の情報も多いけど、なんとなく読み流すために、ついつい買ってしまう。 今週の記事で気になったのは、 レッツノートでタブレットPCが発売されたという広告。 http://club.panasonic.jp/mall/mylets/open/c/ ずっと目をつけていたのは、Sシリーズ http://club.panasonic.jp/mall/mylets/open/s/ もちろん、予算上の問題をクリアせずして手出しするわけにもいかず。 予算上の問題は、いっこうにクリアされる気配も見せず。 しばらくは様子見。

たまの休日

めずらしく、一日お休み。 まる一日休日で、別段しなければならない予定がないなど、いつ以来だろうか。 積極的に「しなければいけないことをしない」ことに取り組んで、のんびりと過ごす。 朝、最近ずっと刈りたいと思っていた頭の手入れをする。 久しぶりに6ミリでカット。 うん。いい感じだ。 午前中は、回覧板を回して、立ち話をして、PCを触っていると終わってしまった。 のんびり過ごしている。 午後は、昼ご飯に、奥さんの作った焼きうどんを食べて、合気道の稽古へ。 昨日、立ち寄ったソフマップで中古のカメラレンズを買ったので、うれしがって、カメラを稽古に持って行くも、写真を撮るチャンスもなく、そのまま持って帰ってきてしまう。 今日も残すところあとすこし。のんびりやります。

前田耕作『玄奘三蔵、シルクロードを行く』 (岩波新書)

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前田耕作『玄奘三蔵、シルクロードを行く』 (岩波新書) 『大唐西域記』巻1~巻2を対象として、玄奘三蔵の足跡をたどったもの。 ふらっと立ち寄った本屋で見かけて、買っていたもの。 ちょうど、勤めている研究所でシルクロードをテーマにしたセミナーが開催されていたことも、タイムリー。 土地の風土や、玄奘の記述から見えるその観察眼、洞察力についても言及。

ふりすた

月一度のNHK文化センター出講の日。 午前中は神戸。午後は大阪。 現在大阪の講師控え室で待機中。 いろいろと考えながら講義をしているけれど、考えすぎてよくないのか。 なかなかなかなか、楽しくはできない。 仏教をわかりやすくというのは、やっぱりむずかしいなぁ。。。 神戸の受講生の方が一人、こんなフリーマガジンがあると持ってきてくれた。 「フリースタイルな僧侶たちのフリーマガジン」 http://www.freemonk.net/ 中心になっているのは、近所の浄土宗のお寺の方。 近くの尼崎で、こんなムーブメントの核があると、うれしい気分。

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