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190428 東京レインボープライド2019(1日目)

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 4月28日。スケジュールの都合がついたので、東京レインボープライドに参加した   お参りを終えて、当日の午後に翌日の予定と、イベントの予定を確認して、えいっと決めて東京に身一つで向かったような参加の仕方。それも楽しい。  会場に向かう道中から、すれ違う人たち――おそらく会場から駅に向かう個人、カップル、家族、グループ それぞれが多様なあり方を象徴しているように感じられて、「多様なあり方」を象徴するかのようなイベントにいま向かっているのだということを感じた。  会場に入ったのはすでに夕刻(17時過ぎ)だったが、ちょうどパレードが会場に帰ってくる時間でもあって、とても賑わっていた(しかし、知人に聞いたところでは、ピークの状態ではもっとすごかったらしい)  誰もがしる大企業が大がかりなブースや仕掛けをだしていたり、ライブ・パフォーマンスがステージと大画面で映し出されていたりで、フェスの雰囲気でとても楽しい。  会場がひろく、全体の配置やどこになにがわからずうろうろとしてしまう。電話で連絡をとってなんとか龍大のブースに到着。そこから、知人何人かと顔をあわせることもでき、知人を紹介してもらったり、あいさつを重ねたりしながら、その場の雰囲気を楽しむ。    ちょっと会場を歩くだけでも、いろいろな人がいる。いろどりや、装い、あるいは生き方がさまざまであることを、ただ歩きすれ違うだけで感じる。  もしかすると、人によっては、受けいれがたいとおもうことがらや、ありかたもあるかもしれない。しかし、それらが「机上」や「空想」ではなく、いま目の前に一人の人のあり方として現前にある。だれかに受けいれてもらう、もらわないという問題ではなく、「あり方」としてすでにある、いるということが、現に示されているようにも思われた。  人と顔を合わせ、あいさつを重ねることも楽しい。  その場にいる多くのひとが、久しぶりに会うひととあいさつをし、言葉を交わしているようでもあった。全国に散らばる知人と顔を合わせる場であったり、再会を果たし、再会する約束を重ねる場となっている。人と会い、人とつながる場としても大いに機能しているような思いがした。  まだ、言語化できるまでに至っていないこともあるけれど、あの場に身を置いてみることで感じられることが少なから...

あれこれありました

ここ2~3週間、いろいろと西正寺での行事、他所で自分自身が主催する行事がたくさんあった。 3/30(土) テラハ 3/31(日) 大江戸ブギウギ 4/3(水)   コミュニティナースから展開する可能性を考える その1    ~コミュニティナース矢田明子さん講演会プレ・イベント 4/6(土) はなまつり 4/7(日) ふるまい市場 4/12(金)普通を語ろう@蓬莱湯 4/14(日)第十五回西正寺寄席 本当は、それぞれにレビューを書きたいところだけれど、とりいそぎ、一言メモを残しておきたい。

190331_大江戸ブギウギが実施されました。

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2019年3月31日(日) 大江戸ブギウギという行事が西正寺で開催されました。 半年ほど前から、尼崎市内の着物の染色の職人である「くろゆか」さんと、そのおばあさまがされている着物の着付け教室「まるひめ着物学院」が中心になって企画・準備をされてきたイベントです。 とある経緯から相談をもちかけられ、西正寺を会場としてお引き受けすると共に、実行委員にも入りながら関わってきたイベントです。 個人的には、規模や大きさと、自分主催ではないということの兼ね合いに少し難しさを感じていた行事でもありました。終わってみると、そういった部分に個人的な課題や反省を多々感じるところがありましたが、実行委員のみなさんの表情や様子や言葉、出演・出店してくださったみなさん、参加したみなさんの様子を見ていて、いい一日だなぁと感じながら過ごした時間でもありました。 詳細に一々のべることはできませんが、以下に概要と思いを残しておきたいとおもいます。※当日のコンテンツについては、この投稿の末尾に列挙しておきます。 参加者としては、約250名ほどの来場がありました。出店者、スタッフを含めると、当日は300名以上の人と西正寺で過ごすことができたということになります。 本堂で行われた出演者のみなさんの演目のすばらしさはもちろんのことながら、それぞれが、お寺の本堂であるということの意味をとても大事にしてくださり、お寺であること、仏さまの前であることに、とても配慮し、敬意をはらってくださっていたことが感じられました。そのことは、お寺の者(僧侶)として大変うれしいことでしたし、そのことがまたパフォーマンスをふくめたその場の時間をとても豊かにしてくれているように感じられるものでした。 境内では、伝統や地域に関わるいろいろな出店がありました。 武庫川で取れた魚をつかった「フィッシュアンドチップス」や、尼崎の歴史にまつわるお菓子、その場でつくってくれる「飴細工」、銭湯にまつわるグッズ販売。金継ぎ、染色、和風なデザインに関するワークショップ等等。 主催のくろゆかさんと、まるひめ着物学院( http://www.maruhime-kimono.com/index.html )さんが中心となって展開された「ファッションショー」は午前・午後と2回にわたって行われました。それぞれ着物にまつわる思いや、...

190307_恩師法事十三回忌に思い出すあれこれ

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2019年3月7日 今日は、大学・大学院と指導いただいた恩師O先生の、十三回忌の法事に出席するために、和歌山にきました。  朝起きてから、移動の節々で、学生・大学院生時代を思い出したり、先生の思い出を振り返ったりしながらの移動になりました。  先生の御自坊には、時間通りにみなさんあつまっていらっしゃいました。今回お参りされた方達は30数名ほど。先生のゼミの門下生と、先生が地元和歌山で開催されていた勉強会のメンバーの方たちでした。   本堂で『阿弥陀経』をお勤めし、先生の門下生の先輩で、先生の著述編集のお手伝いもされた山口のI先生の御法話。その後、会場を移してお斎をいただき、それぞれに思い出話やスピーチなど。食事を終えたあと、近しい先輩数名と和歌山駅前で、「もう一軒」と飲食をして、帰途につきました。 思えば、僕はまじめに一生懸命勉強したり、先生に付き従うというタイプの学生ではありませんでした。思い出話でときどきお話しするのですが、学部3回生の時に、ゼミコンで、O先生にお酒をついで頂きながら、いただいた最初の言葉は、「君、よう寝てるなぁ」でした。(ごめんなさい)。  とても、小さくなって、その言葉を承ったのを覚えています。笑  大学院に入ってからは、先生の独特な自説を果たしてどのように受け止めたものかと、あえて逆の主張や、それ以外の学説を提示した資料を集めて、先生に質問やディスカッションを求めるような感じでゼミに臨んでいたように思います。   しかし、先生は笑いながらも、ある意味真っ正面から受け止めて、ボールを、あるいは僕自身を投げ返すようなやりとりを続けてくださっていたように思います。今思うと、「教わる」というより、先生とやりとりをする中で、育てていただいていたような学生生活だったのかも知れません。    先生とお話ししたことや、教えとして頂いた言葉は、今日の法事やお斎の席、あるいは和歌山の街並み(最期のゼミ合宿が和歌山でありました)をみながら、あれこれと尽きることなく思い出されてきました。  今日の法事のお斎の席でも、スピーチの時間をいただいたときに紹介したエピソードがあります。博士課程に進学して1年目。韓国であった印度学仏教学会に発表を申し込み、その発表に関する指導を先生にいただいた時のことです。...

僧侶でしかないので

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おそらくネットでしか、僕のことを知らないであろう人に、 なにをめざしているのか、どうなりたいのか、わかんないよって言われたんですが、僕もわかりません。笑(おそらくニュアンスは批判的なそれだったと思うのですが) 僕は、尼崎にいる一人の「お坊さん」であり、仏教研究をしてきた人間である、という思いはあります。その名と名乗りに見あうように近づきたいという思いはありますが、それ以外のなにかになろうとか、名のりを得ようという思いはないのだなあと思います。(その問いをもらって明確に言語化できたように思います) セクシュアリティの多様性にも関心を向けています。地域の福祉や、身心の「しょうがい」や、国際的な課題にも関心をもち、関わることが増えてきました。ただ、それは友人が取り組んでいるテーマであったり、課題であったりすることのお手伝いや、なにか助けができればという思いであって、僕自身はその専門家や活動家ではないし、なりたいとおもっているわけではありません。 学校の先生が、「障がい」や「福祉」について語ってもその専門家ではなく「学校の先生」であるように、 企業で「人権」や「憲法」についての研修会や行事を開催してもその専門家や活動家といわれることがなく、「会社員」や、その職の「職員」であるように。 お寺でいろいろなことをしている(と言われる)けれども、 これは、僕は地域の僧侶として、あるいは仏教研究に関わっているものとして、宗教者の実践に関心を向けてそのあり方を模索している者として、「できること」「やりたいこと」をやっているにすぎないと思っています。  むしろある意味で、僕は(もちろん自分の行為や発言・活動に対しての責任を引き受けながら)ある種の素人や門外漢としてそこにかかわることの意味もあるだろうとも思ってはいます。もし僕のしていることや関心をむけていることが、「専門家」や「活動家」だけの領域にとどまるのならば、その思いや理念、問題意識は、限定的に共有されるものにしかならないだろうから。  (心ある)専門家や専門の活動家の邪魔をしない範囲で、素人でお手伝いできること、あるいは自分の立場でできることを見つけながら関与していくこと、専門家でもないにも関わらず「お寺」だから、「僧侶」だからできることが少なからずあるのではないかという思いはもっています。  ...

190224_ひとまちてらこやvol.03 尼崎城盛り上げ隊(あまが咲さん)とインバウンドのおもてなしについて考えよう~ムスリマのリカさん篇

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2月24日日曜日の19時から「ひとまちてらこやvol.03 尼崎城盛り上げ隊(あまが咲さん)とインバウンドのおもてなしについて考えよう~ムスリマのリカさん篇」を開催しました。 昨年あたりから、尼崎地域で活動をされている「尼崎城盛り上げ隊」のあまが咲さんと、その友人のイスラム教徒であるガフール・里歌さんがお話にきてくださいました。 当日は、10名の参加者。主催と話し手を加えて13名で場をもちました。 参加者のみなさんの自己紹介と参加動機を聞いていくと、 ・「尼崎城盛り上げ隊」やインバウンドに関心がある方、 ・主催、講師のつながり、疑問 ・尼崎、尼崎城への関心 ・あまが咲への関心 等、多様な思いや期待であつまってくださっていました。 最初、尼崎城盛り上げ隊の活動と「あまが咲」さんについて、あまが咲さんから紹介とお話がありました。尼崎城ができるということを聞いて、それおもしろいやんと、盛り上げにできることを考えた結果、「本名」を消し、「尼崎城盛り上げ隊」を結成。それらがすべて、深遠な計画にもとづいたものであるとか、ないとか・・・。 ただ、尼崎城関連の取り組みの中で、外国からの観光客を誘致し、楽しんでもらう際に、大手の業者や、関連団体によって実際に行われた取り組みにさまざまな課題があることを感じたそうです。そこで、今回友人でもあるイスラム教信者のガフール・里歌さんをお連れ下さり、イスラムの信仰、文化、生活についてお話してもらおうと思ったという経緯が紹介されました。

190219 ひとまちてらこやvol.02「婚活に疲れた私は、婚活イベントを企画してみることにした。」

2月19日「ひとまちてらこやvol.02」「婚活に疲れた私は、婚活イベントを企画してみることにした。」を開催しました。 ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。参加者は6名、主催・講師合わせて8名の開催となりました。 今回は、講師の「きしかわ」さんから、これまで経験してきた婚活のアレコレ、体験談や所感もふくめてお話いただきました。婚活や、であい系のイベントには、いろいろなであい方や、アプローチの仕方があるのだと分かりました。  名前の付け方や、企画の仕方で、「婚活」のアプローチ(まず知り合ってみる~最初から結婚前提のアプローチ)まで、色合いがことなってくるということも見えてきたようです。  主催の中平が途中「中平さん、きいてます?」といわれたのは、手元に紙がなく、スマホでメモを取っていたからなのですが、そのメモしていた「質問しよう」とおもっていたことを聞き忘れていたことを、朝思い出しました。(笑)  婚活イベントには、参加者にもたらされる「安心感」とか、そのための「ルール」があるのだそうです。その安心感はなにによってもたらされるのかなぁ、どのように醸し出すのかなぁ、ということ、そのための具体的なルールはどのようなものがあるのだろうか、ということを聞きそびれてしまいました。  またお会いしたときに聞いてみたいと思います。^^  昨日はありがとうございましたー。

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